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祇園之洲砲台跡

投稿日:2018年6月15日 更新日:

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祇園之洲砲台跡

祇園之洲砲台跡

祇園之洲砲台跡には、その名の通り、砲台があったの?

 

はい。

幕末の名君、島津斉彬が築造したんですよ。

 

祇園之洲砲台跡は、鹿児島市清水町の祇園之洲公園内にあります。

 

この記事では、砲台跡の歴史を紹介します。

 

 

祇園之洲砲台跡の歴史

埋め立て

薩摩藩家老・調所広郷は、財政改革に成功後、稲荷川に石橋を架ける事にしました。

併せて洪水対策の川ざらえが行われ、その土砂で埋立地を造成しました。

それが、この祇園之洲です。

 

なるほど。

この場所は、人工的に造られた土地なんだね。

 

砲台設置

当初、埋立地は、兵士の屯集所として使われました。

やがて、海外の脅威が高まり、嘉永6年(1853年)、斉彬が砲台を設置しました。

 

斉彬は、海外に通じていた稀有な人物だったんだよね~。

 

薩英戦争

築造10年後の文久3年(1863年)、薩英戦争が勃発します。

祇園之洲砲台は、アームストロング砲で壊滅。

のちに、イギリス艦・レースホースが砲台前で座礁するも、救出作業を見守る他ありませんでした。

 

大チャンスを目の前に、何と残念。。。

 

海外の脅威を目の当たりにした薩摩藩は、戦後ただちに砲台を修復。

 

さらに、西欧技術を取り入れた斉彬の集成館事業を、形を変えて再始動させました。

 

西南戦争

明治10年(1877年)には、西南戦争が勃発。

勅使の柳原前光は、軍艦・春日を護衛に、鹿児島にやって来ました。

島津久光・忠義親子に、西郷軍の鎮撫を命じるためです。

 

ふむふむ。

 

親子は、局外中立を盾に、鎮撫を拒否します。

 

その前後、軍艦・春日の海軍兵は、大砲を壊して火門に釘を打ち込み、西郷軍に使わせないようにしました。

 

こうして祇園之洲は、砲台としての役割を終えました。

 

官軍墓地整備・慰霊塔建立・公園整備

西南の役官軍戦没者慰霊塔

西南の役官軍戦没者慰霊塔

戦後、砲台跡に官軍墓地が整備されました。

しかし荒廃が進み、台風で甚大な被害を蒙るなどしました。

 

西郷軍の敵のお墓だから、冷たく扱われちゃったのかな。。。

 

そこで昭和30年(1955年)、地下納骨堂に合葬され、昭和52年(1977年)には、西南の役官軍戦没者慰霊塔も建立されました。

 

また、甲突川に架かっていた石橋も移設され、現在の形になりました。

 

祇園之洲砲台跡の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市清水町26
【料】 無料
【駐】 石橋記念公園駐車場 無料
【交】    鹿児島中央駅から車で15分
まち巡りバス 石橋記念公園前から下車すぐ
カゴシマシティビュー 石橋記念公園前から下車すぐ

 

祇園之洲砲台跡の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

祇園之洲砲台跡の総評

祇園之洲砲台跡

祇園之洲砲台跡

現在は、多くの木々が植えられ、市民の憩いの場になっています。

 

平和な時間が流れてるんだね~。

 

また、周辺には

 

  • 石橋記念公園
  • 多賀山公園
  • 森有礼誕生地
  • 旧重富島津家屋敷跡

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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