鹿児島市西部

西郷吉兵衛の墓

投稿日:2018年7月17日 更新日:

西郷吉兵衛の墓

西郷吉兵衛の墓

西郷吉兵衛は、あの西郷隆盛の父親です。

 

ニャンと!

 

 

西郷吉兵衛の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、西郷吉兵衛の人生を簡単に紹介します。

 

 

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西郷吉兵衛の人生

誕生

吉兵衛は、龍右衛門と常の長男として、文化6年(1806年)に生まれました。

 

兄弟は、いニャかったのかニャ?

 

 

吉兵衛の弟に、西郷小兵衛がいました。

 

小兵衛は大山家の養子となり、大山綱昌と名乗ります。

 

その綱昌の子供が、陸軍大将の大山巌

 

つまり、西郷と大山は、従兄弟同士でした。

 

 

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家族

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛誕生地

吉兵衛は、椎原権兵衛の娘・満佐と結婚し、7人の子宝に恵まれます。

 

頑張りすぎニャ!

 

 

家族は、最大11人。

 

しかし、家禄は47石(約282万円)。

 

そのため、日置島津家と赤山家の会計係や用頼を、副業的に務めました。

 

この縁で西郷は、幼い頃から桂久武と仲良くなり、また、赤山靭負を師匠や実の兄のように慕っていました。

 

 

 

 

お由羅騒動

お由羅屋敷

お由羅屋敷

ですが、その赤山靭負は、お由羅騒動により、嘉永3年(1850年)3月4日、切腹します。

 

ニャニーっ!

 

 

赤山靭負を介錯したのは、一般に吉兵衛と伝わっています。

 

しかし実際は、撃剣家の加藤新平が務めました。

 

吉兵衛は、赤山の遺体の後処理をし、血染めの肌着を西郷に渡しました。

 

 

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死去

嘉永5年(1852年)7月18日、父の西郷龍右衛門が亡くなって間もなく、吉兵衛は病に伏します。

そして同年9月27日、死去しました。

 

長生きして、息子達の活躍を見て欲しかったニャー。

 

 

さらに後を追うように、同年11月29日、妻の満佐も亡くなります。

 

嘉永5年(1852年)は、西郷家にとって悲しい年となりました。

 

 

 

 

西郷吉兵衛の墓の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市常盤2丁目2-14
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

 

なお、西郷吉兵衛の墓へのアクセスは、ナビアプリを使うと、スムーズです。

 

 

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西郷吉兵衛の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷吉兵衛の墓の総評

ちなみに西郷家の墓には、『西郷吉兵衛の墓』が、複数あります。

 

どういうことニャ?

 

 

西郷家では、吉兵衛の名が長い間受け継がれていました。

 

そのため、西郷吉兵衛と名乗った御先祖の墓が、複数あります。

 

ですが、西郷家の墓には、どのお墓が誰のものが、案内板がないのです。

 

 

じゃあ、西郷の父の吉兵衛と、そうじゃない人の吉兵衛の墓は、どうやって見分ければいいのニャ?

 

吉兵衛の法号は、自覚院祖栄忠道居士。

墓の前面に『自覚院』と彫られているのが、吉兵衛のお墓です。

 

 

よーく探せば、1分以内に見つかるはず。

 

妻・満佐の墓の隣です。

 

 

また、周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

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