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お由羅の墓

投稿日:2018年6月22日 更新日:

読了予測:4分

お由羅の墓

お由羅の墓

お由羅って、どんな人物だったのかニャ?

 

27代・島津斉興の側室で、国父・島津久光の母親でもありました。

 

お由羅の墓は、鹿児島市池之上町の福昌寺跡にあります。

 

この記事では、お由羅の生涯を紹介します。

 

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お由羅の生涯

斉興の側室

いきなりですが、お由羅の誕生日や素性は、実はよく分かっていません。

 

ニャンと!

 

江戸両国付近の船宿の娘、または三田四国町の大工の娘とも言われています。

 

江戸薩摩藩邸で奉公していた頃、斉興に見初められ、側室になりました。

 

島津久光を生む

文化14年(1817年)10月24日、お由羅は鶴丸城で、島津久光を生みます。

久光は聡明で、斉興は次期藩主にと考えていました。

しかし、久光には腹違いの長男・島津斉彬がいました。

 

波乱の予感ニャ~。

 

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お由羅騒動

お由羅屋敷

お由羅屋敷

やがて、斉彬擁立派と、久光擁立派が対立。

ついに斉彬派は、お由羅の暗殺を企てます。

しかし露見したため、多くの斉彬派が切腹・流島となりました。

 

お由羅は、この件に関わっていたのかニャ?

 

お由羅をはじめ、斉興・斉彬・久光は、直接関わっていません。

 

あくまでも、互いの擁立派同士の争いでした。

 

久光派は呪詛を念じ、斉彬派は報復として、お由羅屋敷の床下に調伏人形を埋める等しました。

 

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死去

お由羅の墓

お由羅の墓

やがて斉彬が藩主に就任するも、急死。

孫の忠義が藩主となり、息子の久光は、後見人の国父となりました。

 

お由羅は、どういう思いだったのかニャー。

 

斉興の死から7年後の慶応2年(1866年)10月28日、お由羅はこの世を去ります。

 

側室でしたが、お墓は斉興の隣に建てられました。

 

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お由羅の墓の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市池之上町24
【料】 無料
【駐】 駐車スペースあり
【交】 鹿児島中央駅から車で15分
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩10分
カゴシマシティビュー 今和泉島津家本邸跡前から徒歩10分

 

お由羅の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

お由羅の墓の総評

お由羅=悪女のイメージがありますが、あくまでドラマや小説の影響。

繰り返しますが、お由羅騒動に本人は関わっていません。

 

お家騒動に名前が付いて、損しちゃってるんだニャー。

 

なお、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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