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大久保利通生い立ちの地

投稿日:2018年1月11日 更新日:

読了予測:10分

大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地

大久保利通と西郷隆盛は、近所に住んでいたんだよね。

 

はい、お互い徒歩1分の場所に家がありました。

 

大久保利通生い立ちの地は、鹿児島市加治屋町にあります。

 

この記事では、同地の概要や逸話を紹介します。

 

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大久保利通生い立ちの地の概要

出入口

出入口

出入口

ここが、出入口です。

 

なかを見ると、木が沢山あるねー。

 

生い立ちの地の木々は、クスノキです。

 

出入口は道路沿いのほか、甲突川沿いの遊歩道にもあります。

 

石碑

石碑

石碑

石碑

石碑

ん?

よく見ると、『誕生之地』と彫ってある。

ここは、生い立ちの地じゃなかったっけ?

 

はい。

大久保は、甲突川を挟んだ隣の高麗町で生まれました。

 

誕生之碑と彫られた経緯は、誤伝によるもの。

 

高麗町にある本来の大久保利通誕生地には、比較的新しい『大久保利通誕生之地』の石碑が建っています。

 

 

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕(まきののぶてる)って、だーれ?

 

大久保利通の次男として生まれた、明治・大正・昭和の政治家です。

 

大きな石碑の隣に、牧野伸顕誕生地之碑が建っています。

 

生まれて間もなく牧野家に養子に出されましたが、幼少時に養父が亡くなったため、牧野姓のまま大久保家で育てられました。

 

石板

石板

石板

石板

石板

石碑の隣に、石板が建ってるね。

 

石板には、この地が整備された経緯が彫られています。

2つとも、 明治22年(1889年)3月20日に建てられました。

 

加治屋町の西郷隆盛誕生地にも、同日に同じ大きさの石碑石板が建てられました。

 

西郷従道や大山巌らは、2人の遺跡が消滅することを憂慮し、石碑と石板を建立したのです。

 

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大久保利通生い立ちの地の逸話

加治屋町に住んでいた当時のエピソードを知りたいな~。

 

では、いくつか紹介しますね。

 

豚汁

子供時代のイタズラ話はいくつ残っていますが、加治屋町では、なんといっても豚汁ですね。

 

豚汁?

 

桜島にあった古里温泉の宿の主人である彦作が、大久保家に泊まりに来た日。

 

お給仕をかって出た大久保は、彦作に豚汁を11杯も食べさせました。

 

彦作、相手が子供だから付き合ってくれたんだろうなー(笑)

 

大久保が桜島の火口に石を投げ入れた際、「お山が祟る」と彦作が止めましたが、さらに面白がって石を投げ続けたエピソードも残っています。

 

お由羅騒動

お由羅屋敷

お由羅屋敷

嘉永3年(1850年)、島津斉彬の藩主就任を望んでいた父の次右衛門が、お由羅騒動により入獄されます。

 

その後、大久保一家はどうなったの?

 

父の次右衛門は、琉球館附役を罷免され、喜界島へ遠島。

 

大久保も記録所書役助を罷免され、閉門と禁足が命じられます。

 

無給となり、豪商の森山新蔵に借金するなど、お由羅騒動は大久保家に大きな試練を与えました。

 

 

西郷隆盛との仲

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛誕生地

お由羅騒動の余波で困窮した大久保を、西郷隆盛は家に招き、よく食事を与えました。

 

大久保と西郷って、仲が良かったんだね。

 

ほぼ毎日、西郷が大久保の家に行き、西郷が来なければ大久保が行くというほど、2人の仲は良好でした。

 

大久保が閉門中であっても、西郷は内密話をしに来たと、

 

  1. きち
  2. すま
  3. みね

 

の妹3人が、後年のインタビューで答えています。

 

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南林寺に通う

松原神社

松原神社

大久保は閉門中、遠島になった次右衛門の無事を祈り、毎朝未明に家を出て南林寺に参拝し続けました。

 

大久保といえば冷徹というイメージがあるから、お寺に通ったのは意外。

 

 

赦免と復職、次右衛門の帰藩

でも、いつかは許されたんだよね?

 

はい。

免職から3年後の嘉永6年(1853年)5月、大久保は赦免され、藩記録所御蔵方役となります。

 

安政元年(1854年)7月、次右衛門も許され、翌安政2年(1855年)3月14日、鹿児島に戻ります。

 

こうしてまた、家族一緒に暮らすことになりました。

 

満寿子との結婚

大久保満寿子誕生地

大久保満寿子誕生地

安政4年(1857年)12月、早崎七郎右衛門の次女であった満寿子と結婚します。

 

やっと、当時の人並みの幸せを手に入れたんだね。

 

大久保満寿子は長男の利和や、先に紹介した牧野伸顕などを生み、子宝に恵まれました。

 

また、大久保は非常に子煩悩でした。

 

 

朝風呂

鶴丸城跡

鶴丸城跡

文久元年(1861年)10月23日、大久保は御小納戸役に大抜擢されます。

ただの下級武士から藩政に参加できる立場となり、国父の島津久光へ、直接意見を述べられるようになりました。

 

いきなりの大出世!!

 

久光の側に仕えることになった大久保は、登城前、毎日朝風呂に入り、体を清めました。

 

後に明治政府内で対立する2人ですが、当時の大久保は、久光に敬意を払っていました。

 

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引越し

大久保家族は、ずっと加治屋町に住んでいたの?

 

いいえ。

文久3年(1863年)、新照院町に引っ越しました。

 

この時、大久保は34才。

 

御側役就任という、これまたスピード出世を果たした年でした。

 

大久保利通生い立ちの地の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市加治屋町3-26
【料】 無料
【駐】 なし
【交】    鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩10分
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩1分
カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩3分

 

大久保利通生い立ちの地の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

大久保利通生い立ちの地の総評

クスノキが多いから、夏場でも涼しいね。

 

ベンチもあって、良い休憩場所です。

 

すぐ近くには、幼少の大久保が遊んだ甲突川が流れています。

 

川沿いを散策して歩くのも、オススメです。

 

また、周辺には

 

  • 西郷隆盛誕生地
  • 維新ふるさと館
  • 伊地知正治誕生地の碑
  • 歴史ロード“維新ふるさとの道”

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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