中央地区 加治屋町

大久保利通生い立ちの地

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大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地

大久保利通と西郷隆盛は、近所に住んでいたんだよね。

 

はい、お互い徒歩1分の場所に家がありました。

 

大久保利通生い立ちの地は、鹿児島市加治屋町にあります。

 

この記事では、大久保利通生い立ちの地の様子や、当時のエピソードをご紹介します。

 

大久保利通生い立ちの地の出入口

大久保利通生い立ちの地の出入口

出入口

ここが、出入口です。

 

なかを見ると、木が沢山あるねー。

 

生い立ちの地の木々は、クスノキ。

 

出入口は、道路沿いのほか、甲突川沿いの遊歩道にもあります。

 

入場無料で、出入りも自由です。

 

大久保利通生い立ちの地の見どころ

石碑

大久保利通生い立ちの地

石碑

これが生い立ちの地の石碑か~。

 

100年以上前の、明治22年(1889年)3月20日に建てられました。

 

同じ加治屋町の西郷隆盛誕生地にも、同じ日に同じ大きさの石碑が建てられました。

 

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大久保利通生い立ちの地の石碑

石碑

ん?

よく見ると、『誕生之地』と彫ってある。

ここは、生い立ちの地じゃなかったっけ?

 

はい。

大久保は、甲突川を挟んだ隣の高麗町で生まれました。

 

誕生之碑と彫られた経緯は、誤伝によるもの。

 

高麗町にある本来の大久保利通誕生地には、比較的新しい『大久保利通誕生之地』の石碑が建っています。

 

 

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕誕生地之碑

牧野伸顕(まきののぶてる)って、だーれ?

 

大久保利通の次男として生まれた、政治家です。

 

大きな石碑の隣に、牧野伸顕誕生地之碑が建っています。

 

生まれて間もなく牧野家に養子に出されましたが、幼少時に養父が亡くなったので、牧野姓のまま大久保家で育てられました。

 

石板

大久保利通生い立ちの地の石板

大山巌・西郷従道と彫られた石板裏

石碑の隣に、石板が建ってるね。

 

石板には、この地が整備された経緯が彫られています。

 

これと同じ大きさの石板が、石碑同様、西郷隆盛誕生地にあります。

 

西郷従道や大山巌らは、2人の遺跡が消滅することを憂慮し、石碑と石板を建てました。

 

加治屋町(大久保利通生い立ちの地)でのエピソード

大久保利通の写真

大久保利通の写真(国立国会図書館)

加治屋町に住んでいた当時のエピソードを知りたいな~。

 

では、いくつか紹介しますね。

 

豚汁

子供時代のイタズラ話はいくつ残っていますが、加治屋町では、なんといっても豚汁ですね。

 

豚汁?

 

桜島にあった古里温泉の宿の主人である彦作が、大久保家に泊まりに来た日。

 

お給仕をかって出た大久保は、彦作に豚汁を11杯も食べさせました。

 

彦作、相手が子供だから付き合ってくれたんだろうなー(笑)

 

大久保が桜島の火口に石を投げ入れ、「お山が祟る」と彦作が止めると、さらに面白がって石を投げ続けたエピソードも残っています。

 

お由羅騒動

嘉永3年(1850年)、島津斉彬の藩主就任を望んでいた父の次右衛門が、お由羅騒動により入獄されます。

 

その後、大久保一家はどうなったの?

 

父の次右衛門は、役職を罷免され、喜界島へ遠島。

 

大久保も記録所書役助を罷免され、閉門と禁足が命じられます。

 

無給となり、豪商の森山新蔵に借金するなど、お由羅騒動は大久保家に大きな試練を与えました。

 

西郷隆盛との仲

お由羅騒動の余波で困窮した大久保を、西郷隆盛は家に招き、よく食事を与えました。

 

大久保と西郷って、結構仲が良かったの?

 

そりゃもう。

 

ほぼ毎日、西郷隆盛が大久保の家に行き、西郷が来なければ大久保が行くという具合でした。

 

大久保が閉門中であっても、西郷は内密話をしに来たと、

 

  1. きち
  2. すま
  3. みね

 

の妹3人が、後年のインタビューで答えています。

 

南林寺へ通う

大久保といえば冷徹というイメージがあるから、お寺に通ったのは意外。

 

実は、信心深いエピソードが、多数残っています。

 

閉門中、遠島になった次右衛門の無事を祈り、毎朝未明に家を出て南林寺に参拝しつづけたました。

 

南林寺には、島津斉彬の遺髪塚があり、廃寺後に松原神社が建てられました。

 

赦免と復職と次右衛門の帰藩

でも、いつかは許されたんだよね?

 

はい。

免職から3年後の嘉永6年(1853年)5月、大久保は赦免され、藩記録所御蔵方役となります。

 

安政元年(1854年)7月、次右衛門も許され、翌安政2年(1855年)3月14日、鹿児島に戻ります。

 

こうしてまた、家族一緒に暮らすことになりました。

 

満寿子との結婚

安政4年(1857年)12月、早崎七郎右衛門の次女であった満寿子と結婚します。

 

やっと、当時の人並みの幸せを手に入れたんだね。

 

大久保満寿子は長男の利和や、先に紹介した牧野伸顕などを生み、子宝に恵まれました。

 

また、大久保は非常に子煩悩でした。

 

朝風呂

文久元年(1861年)10月23日、大久保は御小納戸役に大抜擢されます。

ただの下級武士から藩政に参加できる立場となり、国父の島津久光へ、直接意見を述べられるようになりました。

 

いきなりの大出世!!

 

久光の側に仕えることになった大久保は、体を清めるために、毎日朝風呂に入りました。

 

後に明治政府内で対立する2人ですが、当時の大久保は、久光に敬意を払っていました。

 

引越し

大久保家族は、ずっと加治屋町に住んでいたの?

 

いいえ。

文久3年(1863年)に引っ越しました。

 

文久3年(1863年)、大久保一家は新照院町へ引っ越します。

 

大久保利通、34才。

 

御側役就任という、これまたスピード出世を果たした年でした。

 

営業時間・アクセス・料金など大久保利通生い立ちの地の基本情報

  • 営業時間 / 自由
  • 場所 / 鹿児島市加治屋町3-26
  • 料金 / 無料
  • 駐車場 / なし
  • アクセス① / 鹿児島中央駅より車で5分 徒歩10分
  • アクセス② / 維新ふるさと館前バス停(まち巡りバス)より徒歩1分
  • アクセス③ / 維新ふるさと館バス停(カゴシマシティビュー)より徒歩3分

 

大久保利通生い立ちの地の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

大久保利通生い立ちの地の総評

クスノキが多いから、夏場でも涼しいね。

 

ベンチもあって、良い休憩場所です。

 

すぐ近くには、幼少の大久保が遊んだ甲突川が流れています。

 

川沿いを散策して歩くのも、オススメです。

 

また、周辺には

 

  • 維新ふるさと館
  • 伊地知正治誕生地の碑
  • 歴史ロード“維新ふるさとの道”
  • 西郷隆盛誕生地

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

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