その、お由羅が住んでいました。
お由羅屋敷は、鹿児島市下伊敷2丁目にあります。
この記事では、お由羅屋敷の概要や、逸話を紹介します。
お由羅屋敷の概要
出入口
お由羅屋敷を訪れる際は、伊敷病院駐車場の出入口を奥に進んで下さい。
なお、駐車場は同病院専用です。
車でお越しの方は、付近の有料駐車場にお停め下さい。
屋敷
屋敷の建設時期は不明ですが、お由羅が亡くなった慶応2年(1866年)当時の姿が、ほぼ残っています。
材木は、正目のヒノキ。
当初、玄関はありませんでしたが、現在は増築されて一民家となっています。
庭園
この池って、もしかして。
ネットを除けば、当時のままです。
庭園の池は少し深いため、転落防止のネットで覆われています。
ただし、石橋などの回遊は可能です。
お由羅屋敷の逸話
お由羅騒動
幕末、薩摩藩で島津斉彬派と島津久光派の跡目争い、いわゆる〈お由羅騒動〉が勃発します。
斉彬と久光の2人は、良好な関係でした。
しかし、それぞれの配下の者が呪詛合戦を繰り返しました。
斉彬派は、呪詛のための調伏人形を、床下に埋められたと言われています。
お由羅屋敷のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市下伊敷2丁目4 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で30分 |
鹿児島中央駅から車で15分 | |
西高前バス停から徒歩3分 |
お由羅屋敷の地図
お由羅屋敷の総評
現在は私有地のため、屋敷のある敷地には立ち入らないようお願いします。
撮影の際も、プライバシーを充分ご配慮下さい。
承前)かつて直木三十五「南国太平記」でも取り上げられたお由羅騒動。調伏合戦が焦点だったが、じつは斉彬派も反撃している。寛之助の死の翌年、嘉永二年正月、江戸と鹿児島の玉里屋敷の由羅の屋敷の床下に「物」を埋めている。おそらく調伏人形。まさしく両派の凄さまじい調伏合戦。#西郷どん
— 桐野作人 (@kirinosakujin) 2018年1月21日
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