ここにかつて、砲台があったの?
はい。
薩英戦争では、イギリスの旗艦・ユーリアラス号に、直撃弾を浴びせました。
新波止砲台跡は、鹿児島市本港新町にあります。
当記事では、新波止砲台跡の歴史を紹介します。
新波止砲台跡の歴史
砲台設置
元来、ここは石垣の波止場でした。
しかし安政元(1854年)、藩主・島津斉彬が砲台に改築します。
この頃、海外の脅威が高まっており、海防のために設けました。
なるほど~。
新波止砲台から約870m離れた海上に、標的が浮かんでいました。
通常の訓練では、この標的を目掛けて大砲を撃っていました。
薩英戦争
文久3年(1863年)、薩摩藩とイギリスの間で、薩英戦争が勃発します。
薩摩側は、150ポンド砲を含む11門の大砲で、イギリス艦隊に応戦しました。
斉彬の懸念が的中したんだね。
戦闘中、旗艦・ユーリアラス号が、訓練用の標的内に進入しました。
薩摩側は、数発の直撃弾を浴びせ、艦長・副長を戦死させました。
なんと!
運が良かったね。
イギリス側の記録から、150ポンド砲の砲弾が当たったと考えられます。
ただし残りの艦隊から砲撃を受け、大砲はすべて破壊されました。
新波止砲台跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市本港新町3 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 鹿児島県営第2駐車場 1時間無料 以降1時間200円~ |
アクセス | 鹿児島空港から車で45分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス かごしま水族館・桜島桟橋から徒歩3分 |
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カゴシマシティビュー かごしま水族館から徒歩3分 |
新波止砲台跡の地図
新波止砲台跡の総評
ちなみに砲台跡付近に、鹿児島港旧石積防波堤があります。
一見こちらも砲台跡に見えますが、明治38年(1905年)に竣工されたものです。
でも砲台跡の石垣とマッチしていて、いい雰囲気だ~。
最初に訪れたのは、新波止砲台跡。
安政元(1854年)、従来あった石垣の波止場を、島津斉彬が砲台に改築。
この砲台から約900m離れた所に、練習用の標的が置いてあった。
薩英戦争では、旗艦ユーリアラス号が標的内に入ってきたので、数発の直撃弾を浴びせ、艦長・副長を含む9人が戦死。#ブラタモリ pic.twitter.com/wT7VSweF3D— Sakura Junichiどん (@kagopic) 2018年3月19日
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