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小松帯刀像

投稿日:2018年7月20日 更新日:

小松帯刀像

小松帯刀像

小松帯刀って、だーれ?

 

あの薩長同盟や、大政奉還を実現させた、歴史的人物です。

明治維新や幕末での功績は、西郷隆盛や大久保利通と同等、あるいは、それ以上といっても差し支えありません。

それほど、偉大な存在でした。

 

 

小松帯刀像は、鹿児島市山下町にあります。

 

この記事では、小松帯刀の人生を簡単に紹介します。

 

 

 

 

 

 

小松帯刀の人生

誕生・婿入り

小松帯刀屋敷跡

小松帯刀屋敷跡

天保6年(1835年)10月14日、喜入領主・肝付兼善の3男して、尚五郎は生まれました。

 

当初は、肝付尚五郎だったんだね。

 

 

安政3年(1856年)1月、小松近と結婚し、薩摩藩門閥家の小松家を相続。

 

この婿入りを機に、小松姓となりました。

 

 

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青年宰相

文久2年(1862年)12月、小松は家老に命じられます。

さらに

  • 軍事
  • 外交
  • 財政
  • 産業
  • 教育

等を担う、藩の掛も兼務。

上記の指揮命令権が小松に集中し、28才の青年宰相が誕生しました。

 

いきなりの大出世!

でも、どうして?

 

 

当時の薩摩藩最高権力者は、島津久光

 

しかし、国父となってからも、島津家一門が家老職を占めていました。

 

つまり、権力も権威も、当初は強固でなかったんです。

 

 

そこで久光は、一門外の小松を家老に起用。

加えて、指揮命令権も集中させました。

これにより、久光も自身の権力と権威の向上に成功しました。

 

なるほど!

久光は小松を通して、自身の意向を通しやすくしたんだね。

 

 

禁門の変

元治元年(1864年)7月19日、京で禁門の変が勃発します。

前年の八月十八日の政変で京を追われた長州が、政局復帰を目指して進軍。

薩摩や会津各藩と、武力衝突を起こしました。

 

この時、小松は何をしてたの?

 

 

小松は、薩摩藩の総司令官として、陣頭指揮を執っていました。

 

また、禁裏守衛総督として全軍を指揮していた、徳川慶喜へ助言。

 

幕府側の勝利に、大いに貢献しました。

 

 

薩長同盟

しかし薩摩は、朝敵となった長州と、密かに通じ合うようになります。

そして、慶応2年(1866年)1月21日、京の小松屋敷で、薩長同盟が締結されました。

 

今さらだけど、薩長同盟って何?

 

 

薩長同盟とは、主に薩摩が長州を助ける密約です。

 

  1. 長州が幕府と戦争になった場合、薩摩は擁護する事
  2. 長州復権の政治工作を、薩摩が実行する事

 

内容は、以上2つに集約されます。

 

後に実行され、ついには倒幕の足掛かりとなりました。

 

 

大政奉還

慶応3年(1867年)10月3日、京の二条城で、徳川慶喜が大政奉還を表明。

集めた諸藩代表に、意見を聞きます。

小松は、藩代表として賛成を表明し、大政返上の奏上を勧め、慶喜は受け入れました。

 

あの大政奉還に関わってたんだーっ!

 

 

翌10月14日、小松は土佐の後藤象二郎と、摂政・二条斉敬を訪ねます。

 

しかし、二条は慶喜の大政返上を受理しようとしませんでした。

 

 

そこで小松は、

「拙者どもにも覚悟あり!!」

と、大声で威嚇。

二条は、受理せざるを得ませんでした。

 

裏で、そんな事があったなんて!

 

 

出仕・帰藩・藩政参加

鶴丸城跡

鶴丸城跡

新政府樹立後、小松は出仕します。

  1. 参与
  2. 外国事務掛
  3. 総裁局顧問
  4. 外国事務局判事
  5. 外国官副知官事
  6. 玄蕃頭

以上7つの役目に就くも、持病の足痛が悪化。

そのため、明治2年(1869年)1月に帰藩しました。

 

帰藩するぐらいだから、相当痛かったんだろうね。

 

 

帰藩後、西郷隆盛と藩政改革を実施します。

 

しかし、足通がさらに悪化。

 

同年7月に大坂に向かい、オランダ人医師・ボードウィンの治療を受けました。

 

 

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死去

小松帯刀墓

小松帯刀墓

翌明治3年(1870年)6月、妻・お近や、養子の右近(町田申四郎)が大阪に上り、小松を看病します。

しかしこの時、あばら骨が浮き出るほど痩せこけていました。

 

おおふ......。

足通は、命に関わる大きな病気の、副次的な症状だったのかもね。

 

 

同年7月18日の午前1時頃、ボードウィンが立ち会い、36才で他界しました。

 

当初は、大阪の夕陽ヶ丘墓地に埋葬。

 

その後、明治9年(1976年)10月、日置市吉利の園林寺墓地に改葬されました。

 

 

 

 

小松帯刀像の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市山下町5
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
まち巡りバス
西郷銅像前から徒歩1分
カゴシマシティビュー
西郷銅像前から徒歩1分

 

 

なお、小松帯刀像へのアクセスは、ナビアプリを使うと、スムーズです。

 

 

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小松帯刀像の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

小松帯刀像の総評

教科書に載っていない小松の実績にビックリ!

多くの歴史的事件に関わっていたんだね。

 

禁門の変、薩長同盟、大政奉還。

幕末は、小松抜きには語れないと言っても、過言ではありません。

 

 

小松帯刀の銅像は、その大政奉還時の様子をイメージして造られました。

 

顔は、かつて仕えた島津斉彬や久光、忠義の銅像がある、照国神社と探勝園の方向を向いています。

 

 

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