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松原神社

松原神社

松原神社

 

拝殿を見る限り、普通の神社だね。

 

江戸時代には、この敷地に南林寺がありました。

 

 

松原神社は、鹿児島市松原町にあります。

 

この記事では、神社の概要と逸話を紹介します。

 

 

松原神社の概要

出入口

出入口

出入口

 

神社の出入口なのに、鳥居がない!

 

うーん、何ででしょう(笑)

 

 

理由は不明ですが、松原神社の出入口に鳥居はありません。

 

なお、出入りは自由です。

 

 

奥之院灯籠一対

奥之院灯籠一対

奥之院灯籠一対

 

境内に入ってすぐの所に、大久保利通が寄進した石灯籠が建っています。

 

なんで、大久保が寄進したの?

 

 

嘉永3年(1850年)、大久保の父・次右衛門がお由羅騒動で座敷牢に入れられます。

 

大久保は処分が軽くなるよう、加治屋町の住居から南林寺へ毎朝祈願しました。

 

 

 

次右衛門が喜界島に流された後は、毎朝参拝して無事を祈ったんですよ。

 

毎朝!

 

 

その甲斐もあり、安政元年(1854年)に罪を赦され、安政2年(1855年)に鹿児島に戻りました。

 

奥之院灯籠一対は、その時の感謝として明治2年(1869年)に寄進されたものです。

 

 

 

 

斉彬公鬢塚

斉彬公鬢塚

斉彬公鬢塚

 

こちらは、島津斉彬の遺髪塚です。

 

なんで斉彬の遺髪塚が、ここに?

 

 

斉彬は亡くなる前、亡骸を福昌寺に、遺髪を南林寺に納めるよう遺言しました。

 

奥小姓・近習番として江戸の斉彬に仕えた小松帯刀は、かつての主君の遺髪塚に、月2回も通いました。

 

 

 

 

鳥居

鳥居

鳥居

 

鳥居を見て、何か気付きませんか?

 

島津家家紋の丸十がある!

 

 

弘浩2年(1556年)、南林寺は島津貴久によって創建されました。

 

明治2年(1869年)に廃仏毀釈で廃寺となるも、同年に松原神社が創建。

 

祭神として貴久が祀られたので、鳥居に丸十があります。

 

 

松原神社の逸話

鶴丸城の移転のくじ引き

鶴丸城

鶴丸城

 

実は薩英戦争前、島津家居城の鶴丸城を移転するか否か、南林寺でくじ取りが行われました。

 

そんな大事な事を、くじで決めていいの?(笑)

 

 

文久3年(1863年)の薩英戦争前、鶴丸城は国分への移城が決まっていました。

 

城と海が近く、イギリス艦隊の砲弾が飛んでくる可能性があったためです。

 

 

しかし、臆病という批判が多くの藩士から湧きました。

そこで、不平不満を沈めるために南林寺でくじ取りが行われました。

 

猛々しいなー、薩摩隼人は(笑)

 

 

その結果、移城は良くないという結果が出ました。

 

仮に移城していたら、鹿児島市はなかったでしょうね。

 

 

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偉人の墓

西郷家の墓

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実は、あの西郷隆盛の祖先や一家の墓は、もとは南林寺の墓地にあったんですよ。

 

へーっ!

 

 

また、偉人ながら無縁仏だった墓は、現在の南林寺由緒墓に移設されました。

 

 

 

 

松原神社のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市松原町3-35
料金 無料
駐車場 30分100円
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
まち巡りバス
天文館から徒歩10分
カゴシマシティビュー
天文館から徒歩10分
電話 099-222-0343
HP 松原神社

 

 

松原神社の地図

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松原神社の総評

 

一見フツーの神社に見えて、なかなか面白かったでしょ?

 

すんごいフツーの神社だけど、歴史の裏側を知ると、やっぱり面白いね。

 

 

明治10年(1877年)の西南戦争では、政府軍の第三旅団が本営を構えます。

 

日本の歴史上、多くの戦いで寺社に拠点が置かれましたが、ここ松原神社が最後となりました。

 

 

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