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月照上人遺跡の碑

月照上人遺跡の碑

月照上人遺跡の碑

 

『月照上人遺跡の碑』って、月照という人と何か関係がある場所なの?

 

月照は、京の清水寺にある成就院の住職でした。

しかし、安政の大獄で幕府に追われる身となります。

薩摩藩まで逃れるも、この地にあった旅館・俵屋に軟禁されました。

 

 

月照上人遺跡の碑は、鹿児島市の金生町にあります。

 

この記事では、月照が俵屋に軟禁された経緯を紹介します。

 

 

月照軟禁の経緯

戊午の密勅

 

 月照は勤皇の僧として、京の公家・近衛家を通じて

  • 将軍継嗣問題
  • 戊午の密勅

に、関わりました。

その戊午の密勅が、幕府に追われる原因となりました。

 

戊午の密勅?

 

 

安政5年(1858年)、幕政改革を促す勅書が水戸藩に下賜されます。

 

これが、戊午の密勅です。

 

朝廷が諸大名に直接命令することは、幕府にとって容認できない事件でした。

 

 

安政の大獄

 

幕府の大老・井伊直弼は、戊午の密勅の返還を水戸藩へ要求。

井伊は、水戸藩の御隠居・水戸斉昭を黒幕と考えていました。

しかし、証拠が上がりません。

こうして、捜査網が拡大されました。

 

つまり、捜査網が拡大されたから、月照の関わりがバレたんだね。

 

 

同年、戊午の密勅に関わった水戸藩家老や藩士が処刑されます

 

世にいう安政の大獄です。

 

こうして、幕府の追っ手が月照に迫りつつありました。

 

 

薩摩へ逃亡

西郷隆盛肖像画

西郷隆盛肖像画

 

 月照は

  • 西郷隆盛
  • 有村俊斎
  • 平野国臣
  • 白石正一郎

などの助けを借り、京から薩摩藩へ逃れます。

そして、旧知の日高存竜院に匿ってもらうことになりました。

 

これで一安心!

 

 

ところが後難を恐れた日高存竜院が、藩庁に密告。

 

島津斉彬を亡くしたばかりの薩摩藩は、幕府に対して弱腰になっており、月照を匿う気概はありませんでした。

 

 

日向へ

月照上人遺跡の碑

月照上人遺跡の碑

 

藩庁は御用宿の俵屋に月照を移し、役人に監視させて一切の面会を禁じました。

その後、筑前藩の捕吏が月照の引き渡しを要求。

藩庁は西郷に、日向に送ることを命じました。

 

なるほどね。

 

月照は俵屋を発ち、現在の霧島市福山に向けて、

 

  • 西郷
  • 平野国臣
  • 下僕の重助

 

と共に、鹿児島を出港しました。

 

 

 

 

月照上人遺跡の碑のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市金生町7-7
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
鹿児島ブランドショップ前から徒歩3分
カゴシマシティビュー
金生町から徒歩3分

 

 

月照上人遺跡の碑の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

月照上人遺跡の碑の総評

 

結局、月照はどうなったの?

 

それは、次回の記事をお楽しみに。

 

 

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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