鹿児島市北部

平松神社(心岳寺跡)

投稿日:2018年7月18日 更新日:

平松神社(心岳寺跡)

平松神社(心岳寺跡)

平松神社って、なーに?

 

文禄元年(1592年)、この地で武将の島津歳久が戦死し、慶長4年(1599年)に心岳寺が建立されました。

明治の廃仏毀釈で廃寺となった後、現在の平松神社が創建され、今に至ります。

 

 

平松神社(心岳寺跡)は、鹿児島市吉野町にあります。

 

この記事では、平松神社の見どころや概要、逸話を紹介します。

 

 

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平松神社(心岳寺跡)の見どころ・概要

出入口

出入口

出入口

平松神社に行くには、国道10号線からJR日豊本線を渡る必要があります。

 

え?

踏切がないように見えるけど......?

 

 

ご覧のとおり、出入口には踏切がありません。

 

警報音も鳴らないので、渡る前に左右の確認が必要です。

 

 

鳥居・参道

鳥居と参道

鳥居と参道

線路を渡ったら、鳥居をくぐって参道を上って下さいな。

 

バリアフリーではないんだね。

出入口の階段も急だったし、車椅子の方は介助者が2名以上必要かも。

 

 

拝殿

拝殿

拝殿

参道を上って境内に入ると、拝殿が見えてきます。

 

古いね~。

 

 

拝殿は月日が経っており、本殿の壁も一部破れています。

 

怪我をしないよう、安易に座らない方が無難です。

 

 

歌碑

歌碑

歌碑

石に何か文字が彫られているね。

 

これは、歳久辞世の句です。

 

 

「晴蓑めが玉のありかを人問はば いざ白雲の末も知られず」

 

「晴蓑(歳久)の魂の場所と聞かれたら、雲の彼方へ消えたので分からないと答えよ」

 

 

島津歳久の墓

島津歳久の墓

島津歳久の墓

辞世の句碑の上に、歳久の墓があります。

こちらは明治時代に建てられ、後に日置の大乗寺跡に改葬されました。

 

ということは、お骨は入っていないんだね。

 

 

 

 

殉死者墓地

殉死者墓地

殉死者墓地

歳久の墓の横にあるのが、殉死者の墓です。

歳久の家来27名も、この平松神社周辺で戦死しました。

 

殉死=切腹のイメージがあるけど、ここでは最後まで仕えて戦死した意味での殉死なんだね。

 

 

平松神社(心岳寺跡)の逸話

島津歳久の最期

天正15年(1587年)、歳久は九州平定で来薩した豊臣秀吉の駕籠に矢を放つよう家来に命じ、最後まで抵抗しました。

 

天下人に、そんなことしちゃったのーっ!?

 

 

計画は失敗しましたが、そのため秀吉の恨みを買い、後年濡れ衣を着せられ、兄・島津義久に歳久処断の命が下されました。

 

文禄元年(1592年)、歳久は義久の追っ手に追われ、この地で自刃を試みます。

 

 

家来達は、歳久が自害するまで時間を稼ごうと、必死で追っ手を防ぎます。

しかし歳久は、持病の中風で思うように手足を動かせなかったため、囲んだ追っ手に首を取るよう促しました。

 

それで、どうなったの?

 

 

追っ手の中の1人、原田甚次が駆け寄って歳久の首を取りました。

 

それを見た他の者達は、槍や刀を投げ捨てて地面に突っ伏し、岩陰に隠れて号泣。

 

追っ手達も、濡れ衣であることを知っていたのです。

 

 

心岳寺建立

首は肥前名護屋城の秀吉のもとへ送られ、検分後に一条河原に晒されます。

それを歳久の従兄弟・島津忠長が家来に盗ませ、京の浄福寺にある塔頭宝林庵に葬りました。

 

胴体は?

 

 

胴体は、姶良帖佐の総禅寺に葬られました。

 

秀吉死後の慶長4年(1599年)、兄・義久は歳久の霊を祀るため、この地に心岳寺を建立しました。

 

 

西郷と月照の入水

月照上人の追悼碑

月照上人の追悼碑

時は下り安政5年(1858年)、幕府に追われ日向に行くことになった西郷隆盛月照は、心岳寺の灯りを船上で見ます。

西郷は月照に歳久の最期を話を聞かせた後、共に入水しました。

 

たしか西郷さんは助かったけど、月照は亡くなったんだよね。

周囲は暗闇だったろうから、月照にとって最後に目にしたのが、心岳寺の灯りだったんだね。

 

 

 

 

改葬

島津歳久の墓

島津歳久の墓

明治5年(1872年)、日置島津家14代当主・島津久明と一族の田尻種寛が、京の浄福寺から歳久の首級を持ち帰ります。

そして総禅寺の胴体を掘り起こし、首と共に平松神社に埋葬しました。

 

そのお墓が、さっき見たものなんだねー。

 

 

首と胴体が一緒になるのは、実に280年振りでした。

 

そして前述通り、日置の大乗寺跡に改葬されました

 

 

 

 

平松神社(心岳寺跡)の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市吉野町10691
料金 無料
駐車場 駐車スペースあり
アクセス 鹿児島空港から車で30分
鹿児島中央駅から車で20分
平松バス停より徒歩5分

 

 

なお、平松神社(心岳寺跡)へのアクセスは、ナビアプリを使うとスムーズです。

 

 

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平松神社(心岳寺跡)の地図

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平松神社(心岳寺跡)の総評

夏はヤブ蚊が多いので、虫除けスプレーを掛けてお入り下さい。

 

それと、警報音のない線路を渡るので、注意が必要だよ。

頭がボーっとしてる日は、避けたほうが無難!

 

 

ちなみに江戸時代には、心岳寺参りが盛んでした。

 

明治時代には私学校の生徒が参拝するなど、薩摩隼人にとって聖地とも呼べる場所でした。

 

 

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また周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

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