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平松神社(心岳寺跡)

投稿日:2018年4月25日 更新日:

読了予測:8分

平松神社(心岳寺跡)

平松神社(心岳寺跡)

平松神社って、歴史あるスポットなの?

 

戦国時代、この地で武将の島津歳久が戦死し、のちに心岳寺が建立されました。

その後、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、跡地に平松神社が創建され、現在に至ります。

 

平松神社(心岳寺跡)は、鹿児島市吉野町にあります。

 

この記事では、同神社の概要や逸話を紹介します。

 

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平松神社(心岳寺跡)の概要

出入口

平松神社(心岳寺跡)の出入口

出入口

平松神社に行くには、まず、国道10号線からJR日豊本線を越える必要があります。

 

え?

踏切がないように見えるけど......?

 

ご覧のとおり、出入口には踏切がありません。

 

警報音も鳴らないので、渡る前に、列車音と左右の確認が必要です。

 

平松神社(心岳寺跡)の鳥居

鳥居

線路を越えたら、鳥居をくぐって昇って下さいな。

 

バリアフリーではないんだね。

出入口の階段も急だったし、車椅子の方は、介助者が2名以上必要かも。

 

拝殿

平松神社(心岳寺跡)の拝殿

拝殿

階段を昇ると、拝殿が見えてきます。

 

古いね~。

 

拝殿は月日が経っており、本殿の壁も一部破れています。

 

怪我をしないよう、安易に座らない方が無難です。

 

歌碑

平松神社(心岳寺跡)の歌碑

歌碑

石に何か文字が彫られているね。

 

これは、島津歳久辞世の句です。

 

「晴蓑めが玉のありかを人問はば いざ白雲の末も知られず」

 

「晴蓑(歳久)の魂の場所と聞かれたら、雲の彼方へ消えたので分からないと答えよ」

 

と、いう意味です。

 

島津歳久の墓

平松神社(心岳寺跡)の島津歳久の墓

島津歳久の墓

平松神社(心岳寺跡)の島津歳久の墓

島津歳久の墓

歌碑の上に、島津歳久の墓があります。

こちらは、明治時代に建てられ、後に日置の大乗寺跡に改装されました。

 

ということは、お骨は入っていないんだね。

 

 

殉死者墓地

平松神社(心岳寺跡)の殉死者墓地

殉死者墓地

歳久墓の隣にあるのが、殉死者の墓です。

歳久の家来27名も、平松神社周辺で戦死しました。

 

殉死=切腹のイメージがあるけど、ここでは最後まで仕えて戦死した意味での"殉死"なんだね。

 

平松神社(心岳寺跡)の逸話

島津歳久の最期

天正15年(1587年)、歳久は、九州平定で来薩した豊臣秀吉の駕籠に矢を放つよう家来に命じ、最後まで抵抗しました。

 

天下人に、そんな事しちゃったのーっ!?

 

そのため秀吉の恨みを買い、後年には別件で濡れ衣を着せられ、ついには兄・島津義久に、歳久処断の命令が下りました。

 

文禄元年(1592年)7月18日、歳久は義久の追っ手に追われ、この地で自害を試みます。

 

家来達は、歳久が自害するまで時間を稼ごうと、必死で追っ手を防ぎます。

しかし、歳久は持病の中風で思うように手足を動かせなかったため、囲んだ追っ手達に首を取るよう促しました。

 

それで、どうなったの?

 

追っ手の中の1人、原田甚次が駆け寄り、歳久の首を取りました。

 

それを見た他の者達は、槍や刀を投げ捨てて地面に突っ伏し、岩陰に隠れて号泣しました。

 

彼らは、濡れ衣である事を知っていたのです。

 

心岳寺建立

首は肥前名護屋城の秀吉のもとへ送られ、検分後、一条河原に晒されます。

それを従兄弟の島津忠長が家来に盗ませ、京の浄福寺の塔頭宝林庵に葬りました。

 

胴体は?

 

胴体は、姶良帖佐の総禅寺に葬られました。

 

秀吉死後の慶長4年(1599年)、兄・義久は歳久の霊を祀るため、心岳寺を建立しました。

 

改葬

平松神社(心岳寺跡)の島津歳久の墓

島津歳久の墓

明治5年(1872年)、日置島津家14代当主・島津久明氏と、一族の田尻種寛氏が、京の浄福寺から歳久の首級を持ち帰ります。

そして、総禅寺の胴体を掘り起こし、首と共に平松神社に埋葬しました

 

その時のお墓が、さっき見たものなんだねー。

 

首と胴体が一緒になるのは、実に280年振りでした。

 

そして前述通り、日置の大乗寺跡に改装されました

 

 

西郷と月照の入水

月照上人の追悼碑

月照上人の追悼碑

時を少し遡った安政5年(1858年)11月15日未明、幕府に追われ日向に行くことになった西郷隆盛と月照は、心岳寺の灯りを途中の海上で見ます。

西郷は月照に歳久の最期を話を聞かせた後、共に入水しました。

 

たしか西郷は助かったけど、月照は亡くなったんだよね。

周囲は暗闇だったろうから、月照にとって最後に目にしたのが、心岳寺の灯りだったんだね。

 

 

平松神社(心岳寺跡)の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市吉野町10691
【料】 無料
【駐】 駐車スペースあり
【交】 鹿児島中央駅から車で20分
平松バス停より徒歩5分

 

平松神社(心岳寺跡)の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

平松神社(心岳寺跡)の総評

夏はヤブ蚊が多いので、虫除けスプレーを掛けてお入り下さい。

 

それと、警報音のない線路を渡るので、注意が必要。

頭がボーっとしてる日は、避けたほうが無難だよ。

 

江戸時代には心岳寺詣りが盛んで、明治時代には私学校の生徒が参拝するなど、薩摩隼人にとって聖地とも呼べる場所でした。

 

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