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小松帯刀屋敷跡|アクセス・駐車場・料金

投稿日:2018年7月20日 更新日:

小松帯刀屋敷跡

小松帯刀屋敷跡

 

小松帯刀って、何処に住んでいたの?

 

島津家の居城だった鶴丸城周辺に住んでいました。

 

 

小松帯刀屋敷跡は、鹿児島市山下町にあります。

 

当記事では、小松帯刀屋敷跡の概要や、逸話を紹介します。

 

 

 

 

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小松帯刀屋敷跡の概要

井後眼科ビル

井後眼科ビル

井後眼科ビル

現在、小松帯刀屋敷跡には、井後眼科ビルが建っています。

訪れるには、この黄土色の建物を探して下さい。

 

はいはーい。

 

 

石碑

石碑

石碑

ビル1階に、屋敷跡を記した石碑が建っています。

屋外にあるので、いつでも自由に見学できますよ。

 

黒御影石の立派な石碑だねー。

 

 

小松帯刀屋敷跡の逸話

婿入り

天保6年(1835年)、肝付兼善の三男して肝付尚五郎、のちの小松帯刀は生まれました。

肝付家は代々、家老を輩出する門閥家でした。

 

なるほど、肝付家の生まれだったんだね。

 

 

安政3年(1856年)、同じ門閥家の小松清猷(きよかど)が急死します。

 

小松家存続のため、藩主・島津斉彬の許可を受けて、清猷の妹・お近の婿養子となり、家督を相続。

 

この結婚を境に、小松屋敷に住むようになったと考えられます。

 

 

龍馬夫妻の宿泊

慶応2年(1866年)、京の寺田屋で坂本龍馬が幕吏に襲われ、負傷しました。

 

世に言う寺田屋事件だね。

でも、それと何の関係が?

 

 

龍馬は小松西郷の勧めに従って、薩摩で療養することにします。

 

その間、妻・お龍と屋敷に2泊しました。

 

 

 

 

豚肉を送る

小松久光の名代として、京に赴任している時期がありました。

その間、徳川慶喜から何度も豚肉を所望されました。

 

江戸時代、肉食は禁忌だったけど、薩摩の人は豚肉を食べてたんだよね。

慶喜もハマッたのかー。

 

 

その頃、お近は京の小松に

 

  • 豚肉
  • 牛肉

 

などを送っていました。

 

そのため慶喜は、お近が送った豚肉を口にしたと考えられます。

 

 

京都妻の子

小松帯刀の墓

小松帯刀の墓

明治3年(1870年)、小松は大阪で亡くなります。

お近との間に子はおらず、京都妻・お琴との間に2人の子がいました。

 

それで、どうなったの?

 

 

小松の死後、お琴と2人の子供は、五代友厚の面倒のもと、大阪に居住します。

 

しかし明治4年(1871年)、長男の安千代が、鹿児島の小松家に引き取られました。

 

 

家族と別れて、知らない土地で、お近と暮らしたのかー。

子供心に、相当寂しかったんじゃないかなー。

 

鹿児島に蒸気船が入港するたび、安千代は

「妹が乗っているのでは?」

と思い、浜まで迎えに行きました。

相当、寂しさが募っていたはずです。

 

 

明治7年(1874年)、お琴が26歳で亡くなります。

 

残された妹・於須美は、お近が引き取って養育。

 

その後、安千代が小松家の家督を継ぎ、清直と名乗りました。

 

 

小松帯刀屋敷跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市山下町7-10
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
まち巡りバス
西郷銅像前から徒歩3分
カゴシマシティビュー
西郷銅像前から徒歩3分

 

 

小松帯刀屋敷跡の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

小松帯刀屋敷跡の総評

特に説明板もないので、肩透かしを食うかもしれません。

 

まあ、私有地だしね。

 

 

なので、この記事で予習して訪れて下さいまし!

 

また周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

 

 

 

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