小松帯刀屋敷跡は、鹿児島市山下町にあります。
この記事では、屋敷跡の概要と逸話を紹介します。
小松帯刀屋敷跡の概要
井後眼科ビル
訪れるには、この黄土色の建物を探して下さい。
石碑
屋外にあるので、いつでも自由に見学できますよ。
小松帯刀屋敷跡の逸話
婿入り
肝付家は代々、家老を輩出する門閥家でした。
そして、安政2年(1855年)に同じ門閥家の小松清猷(きよかど)が急死します。
尚五郎は藩主・島津斉彬から、お家存続のために清猷の妹・お近の婿養子になることを命ぜられ、安政3年(1856年)正月に小松家を相続。
この結婚を境に、屋敷に住むようになったと考えられます。
龍馬夫妻の宿泊
でも、それと何の関係が?
龍馬は小松や西郷の勧めに従って、薩摩で療養することにします。
その間、妻・お龍と屋敷に2泊しました。
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豚肉を送る
その間、徳川慶喜から何度も豚肉を所望されました。
慶喜もハマッたのかー。
その頃、お近は京の小松に
- 豚肉
- 牛肉
- 卵
などを送っていました。
そのため慶喜は、お近が送った豚肉を口にしたと考えられます。
京都妻の子
お近との間に子はおらず、京都妻・お琴との間に2人の子がいました。
小松の死後、お琴と2人の子供は、五代友厚の面倒のもと、大阪に居住します。
しかし明治4年(1871年)、長男の安千代が、鹿児島の小松家に引き取られました。
子供心に、相当寂しかったんじゃないかなー。
「妹が乗っているのでは?」
と思い、浜まで迎えに行きました。
相当、寂しさが募っていたはずです。
明治7年(1874年)、お琴が26歳で亡くなります。
残された妹・於須美は、お近が引き取って養育。
その後、安千代が小松家の家督を継ぎ、清直と名乗りました。
小松帯刀屋敷跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市山下町7-10 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
まち巡りバス 西郷銅像前から徒歩3分 |
|
カゴシマシティビュー 西郷銅像前から徒歩3分 |
小松帯刀屋敷跡の地図
小松帯刀屋敷跡の総評
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