鹿児島市北部

桐野利秋田蘆跡

投稿日:2018年7月18日 更新日:

桐野利秋田蘆跡

桐野利秋田蘆跡

田蘆(でんろ)って、どういう意味?

 

簡単にいうと、開墾のことです。

明治6年(1873年)、鹿児島に下野した桐野利秋は、開墾と農作業に励みました。

 

 

桐野利秋田蘆跡は、鹿児島市本城町にあります。

 

この記事では、桐野利秋田蘆跡の見どころや概要のほか、逸話を紹介します。

 

 

 

 

桐野利秋田蘆跡の見どころ・概要

出入口

出入口

出入口

桐野利秋田蘆跡に向かうには、県道40号線から入る必要があります。

出入口に立っている標識が目印です。

 

はーい。

 

 

駐車スペース

駐車スペース

駐車スペース

出入口近辺に、駐車スペースがあります。

桐野利秋田蘆跡に向かう途中、道幅が狭くなるため、車でお越しの方は、こちらに停めるのが無難です。

 

6、7台は停められるね。

 

 

通路

通路

通路

駐車スペースから奥の方へ、歩いて行きましょう。

途中、解説板がありますよ。

 

これも目印になるね。

 

 

通路

通路

解説板から、さらに奥に進むと、道が2手に別れます。

桐野利秋田蘆跡に行くには、右側にお進みください。

 

案内板が欲しいね~。

 

 

通路

通路

実は案内板は、道が2手に別れてる場所に置かれています。

字がかすれてしまって、少し読みにくいですね。

ここから、さらに100mほど歩きます。

 

りょうかーい!

 

 

通路

通路

 

途中から草木が生い茂り、やや歩きづらくなります。

車では通れないので、先ほど案内したとおり、駐車スペースに停めてくださいね。

 

1人で行くには、ちょっと心細い場所だね。

 

 

通路

通路

草木道を通り抜けると、右手に木製の案内板があります。

開墾地と石碑は、こちらです。

 

草が多いから、夏はマムシに気を付けなきゃ!

 

 

開墾地跡

開墾地跡

開墾地跡

案内板から少し上ると、開墾地跡に着きます。

桐野はここに住み、開墾と農耕にいそしみました。

 

今はもう、面影がないね。

 

 

石碑

石碑

石碑

石碑は、明治28年(1895年)に建てられました。

ここでの桐野の生活が刻まれています。

訪れる人は少ないですが、地元住民に守られてる貴重なスポットです。

 

ツバキの生垣も、丁寧に刈られてるね。

 

 

桐野利秋田蘆跡の逸話

落人をかくまう

明治7年(1874年)、佐賀の乱が勃発するも、不平士族を政府軍が圧倒。

乱の首謀者である江藤新平は、腹心の石井竹之助と徳久幸次郎を伴い、鹿児島の西郷隆盛に決起を促しました。

 

そんなことがあったんだ!

 

 

西郷は首を縦に振らず、江藤は再起に向け、高知に出発。

 

桐野は吉田の居宅に石井と徳久を匿い、追ってきた捕吏を叱り付け、追い払いました。

 

のちに2人は、西南戦争に従軍。

 

桐野ともども、戦死しました。

 

 

桐野利秋田蘆跡の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市本城町2233
料金 無料
駐車場 駐車スペースあり
アクセス 鹿児島空港から車で30分
鹿児島中央駅から車で35分
あいばす 宇都谷上バス停から徒歩5分

 

 

なお、桐野利秋田蘆跡へのアクセスは、ナビタイムを使うと、スムーズです。

 

 

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桐野利秋田蘆跡の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

桐野利秋田蘆跡の総評

石碑には、

「農耕に励む桐野は元気で、青年をしのいだ」

とも刻まれています。

 

土を触ると元気になるタイプだったのかもね(笑)

 

 

また、周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

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