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月照上人の追悼碑

投稿日:2018年4月18日 更新日:

読了予測:5分

月照上人の追悼碑

月照上人の追悼碑

『月照上人入水の地』って看板に書いてあるけど、ここで月照が入水したの?

 

ここは陸地なので、正しくは周辺の錦江湾で入水しました。

この事件を後世に伝えるため、昭和2年(1927年)に、追悼碑が建てられました。

 

月照上人の追悼碑は、鹿児島市吉野町の月照上人入水の地に建っています。

 

この記事では、入水前後の逸話を紹介します。

 

前回の記事

 

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月照入水前後の逸話

永送り

月照上人遺跡の碑

月照上人遺跡の碑

薩摩藩に軟禁されていた月照は俵屋を発ち、安政5年(1858年)11月16日の午前3時頃、現在の霧島市福山に向けて、西郷隆盛らと鹿児島を出港しました。

 

前回の記事で教えてもらったけど、月照は永送り、つまり薩摩と日向の国境で斬り捨てられる事になったんだよね。

 

西郷は、島津斉彬の死を知り殉死を考えるも、月照に諌められて思い留まった過去がありました。

 

また、公家の近衛忠煕から、月照の保護を依頼されてもいました。

 

しかし、藩庁から永送りを命じられ、西郷は苦悩します。

 

 

入水前

心岳寺跡(平松神社)

心岳寺跡(平松神社)

2人を乗せた船が大崎ヶ鼻周辺に来た頃、西郷は心岳寺(現在の平松神社)の灯りを指差し、島津歳久自刃の話を月照に聴かせました。

歳久は、兄・島津義久の軍勢に追い詰められ、この地で亡くなった戦国武将です。

 

追い詰められた自分達と、歳久の境遇を重ねたのかな......。

 

 

入水

月照上人の追悼碑

月照上人の追悼碑

安政5年(1858年)11月16日の未明、西郷は島津歳久の話をした後、月照と海に飛び込みました。

新暦で数えると、12月20日の真冬の夜。

月照46才、西郷32才でした。

 

無理無理!

寒いし深いし暗いし、絶対に助からない!

 

入水にいち早く気付いたのは、船頭の庄五郎でした。

 

同船していた福岡藩士・平野国臣は、帆縄を切り、停船させます。

 

そして、水中から浮かび上がった2人を奇跡的に見つけ、一同すくい上げました。

 

介抱

花倉浜

花倉浜

しかしこの時、2人の呼吸は止まっていました。

平野と付き添いの藩吏・阪口周右衛門は、自分の着物を脱ぎ、肌で温めながら水を吐かせ、花倉浜に船を着けました。

 

当然だけど、みんな必死だ......!

 

余談ですが、この時の船の板戸と障子が、鹿児島市の西郷南洲顕彰館に展示・保存されています。

 

声無き生き証人とも言える、当時の貴重な史料です。

 

 

月照上人の追悼碑の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市吉野町10043
【料】 無料
【駐】 駐車スペースあり
【交】 鹿児島中央駅から車で20分
三船バス停から徒歩5分

 

月照上人の追悼碑の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

月照上人の追悼碑の総評

えーと、2人は助かったの......?

 

それも、次回の記事で紹介します。

 

次回の記事

 

なお、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

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