西部エリア

川路利良誕生地

川路利良誕生地

川路利良誕生地

 

川路利良って、何をした人物なの?

 

日本の警察制度を創設し、初代大警視(警視総監)を務めました。

 

 

川路利良誕生地は、鹿児島市皆与志町にあります。

 

この記事では、川路利良誕生地の概要や、逸話を紹介します。

 

 

川路利良誕生地の概要

出入口

出入口

出入口

 

誕生地は、皆与志町の一般市道沿いにあります。

出入口の、大きな樹木が目印です。

 

変わった形だね~。

 

 

出入口

出入口

 

樹木の横に、階段があります。

ここを昇ってみましょう。

 

階段左側に、ゲートボール場の看板がある。

これも目印になるね。

 

 

石碑

石碑

石碑

石碑

石碑

 

階段を昇ってすぐの所に、誕生地の石碑が建っています。

 

とっても大きいね~!!

立派!!

 

 

警察制度創設百年記念碑

警察制度創設百年記念碑

警察制度創設百年記念碑

 

誕生碑の左側には、〈警察制度創設百年記念碑〉が建っています。

この碑には、川路の人生が刻まれています。

 

川路の人生は、あまり知られていないから、こういうのは有難いね。

 

 

川路利良誕生地の逸話

誕生・出仕

御楼門

鶴丸城 御楼門

 

天保5年(1834年)、川路は薩摩藩士・川路良愛の長男として生まれました。

家格は与力。

身分としては、相当低い地位でした。

 

ふむふむ。

 

 

嘉永2年(1849年)、川路は16歳で藩に出仕し、兵具方与力附になります。

 

比志島(皆与志町)の生家から鶴丸城までの約12kmを、毎日歩いて通勤。

 

仕事が終わると、また同じ道を歩いて帰る健脚ぶりでした。

 

 

関連記事

 

 

剣術場

ゲートボール場(剣術場跡)

ゲートボール場(剣術場跡)

 

嘉永3年(1850年)、川路家の家格が、御小姓組に昇進します。

同年、鷹師馬場(薬師町)の土地6畝を藩から貰い受け、一家は城下に移りました。

 

家格が上がって土地まで貰うなんて、よほど才能があったんだね。

 

 

移住から13年後の慶応2年(1866年)、川路は誕生地に剣術場を設立します。

 

城下から再び12km歩き、青年達を指導。

 

後年の戊辰戦争で青年達は、〈比志島抜刀隊〉として活躍しました。

 

 

西南戦争

 

しかし、明治10年(1877年)に西南戦争が勃発。

西郷隆盛の暗殺を謀ったして、大警視の川路は県民に恨まれました。

 

おおふ、辛いね~......。

 

 

乱心した群集は、鷹師馬場の川路屋敷を破壊。

 

比志島の生家も壊され、剣術場も荒廃しました。

 

 

石碑建立と道場再興

東郷平八郎肖像写真

東郷平八郎肖像写真

 

昭和6年(1931年)になると、誕生地に石碑が建立され、剣術場も再興されます。

石碑は当初、元連合艦隊司令長官・東郷平八郎に揮毫して貰う予定でした。

しかし、東郷は依頼を拒否。

一説には、西郷びいきだったため断ったと言われています。

 

そうなんだ~。

 

 

昭和43年(1968年)には、誕生地で崖崩れが発生し、剣術場が損壊。

 

その後、跡地にゲートボール場が整備され、現在に至ります。

 

 

川路利良誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市皆与志町4131
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で35分
鹿児島中央駅から車で30分
大警視バス停から下車すぐ

 

 

川路利良誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

川路利良誕生地の総評

 

そのゲートボール場も草が生えて、ちょっと寂しいね。

 

地元の有志が定期的に掃除しているので、大丈夫ですよ。

川路の功績を考えると、もっと注目されても良いスポットと思います。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

川路利良誕生地の関連記事

 

 

 

 

 

 

 

 

-西部エリア
-川路利良, 川路良愛, 東郷平八郎, 西郷隆盛