東郷重位の墓

東郷重位の墓

東郷重位の墓

 

東郷重位(しげかた)って、だーれ?

 

薩摩藩の御流儀だった、示現流を興した人物です。

 

 

東郷重位の墓は、鹿児島市草牟田1丁目の草牟田墓地にあります。

 

この記事では、墓の概要と示現流誕生の経緯を紹介します。

 

 

東郷重位の墓の概要

草牟田墓地駐車場

駐車場

駐車場

 

東郷の墓に行くにはまず、草牟田墓地の駐車場を見つけて下さい。

国道3号線から曲がると、すぐに見つかります。

 

2台分の駐車場が、あるんだね。

 

 

通路

通路

通路

 

駐車場隣には、西南戦争のきっかけとなった陸軍火薬庫跡の石碑があります。

ここから坂を上って行きましょう。

 

「この道路は幅員が狭く車の通り抜け困難」

の、注意書きがあるね。

 

 

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案内図

案内図

案内図

案内図

案内図

 

坂の途中に、草牟田墓地の案内図があります。

東郷の墓があるのは、2等5号の場所です。

 

なるほど~。

 

 

墓石

墓石

墓石

 

2等5号のエリアに着くと、

「東郷肥前守」

と刻まれた、古い型の墓石があります。

これが東郷の墓です。

 

出入口から3分ぐらいで着いたね♪

 

 

示現流誕生の経緯

天真正自顕流とタイ捨流

 

東郷は、もともとタイ捨流を学んでいた一人物でした。

天正15年(1587年)、16代・島津義久に従って京に上洛。

そこで、曹洞宗天寧寺の善吉和尚に出会い、天真正自顕流を修行します。

東郷は、わずか半年あまりで、すべての技を修得しました。

 

半年で!

 

 

そして東郷は、天真正自顕流にタイ捨流を組み合わせた、独自の流派を創始。

 

その威力は、18代・島津家久(忠恒)の耳にも届きました。

 

 

御前試合

 

慶長9年(1604年)、東郷は家久の師範であるタイ捨流の東新之丞に、御前試合で勝利します。

これにより、藩の武術師範に就任。

家禄1,000石が与えられました。

 

大出世!

 

 

命名

 

家久は、参謀であった臨済宗の僧・南浦文之(なんぽぶんし)和尚に、流儀名の考案を命令。

和尚は、法華経の経文にあった〈示現神通力〉から着想し、

「示現流」

と、名付けました。

 

こうやって示現流が生まれたんだね。

 

 

東郷重位の墓のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市草牟田1丁目9-19
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で30分
鹿児島中央駅から車で10分
草牟田バス停から徒歩3分
電話 099-227-1167

 

 

東郷重位の墓の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

東郷重位の墓の総評

 

示現流の威力は凄まじく、27代・島津斉興は、薩摩藩と分家の佐土原藩以外の人間に伝授することを、固く禁じました。

 

そんな凄い剣術を創ったんだね~。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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