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旧島津氏玉里邸庭園

旧島津氏玉里邸庭園

旧島津氏玉里邸庭園

 

旧島津氏玉里邸庭園は、誰が建てたの?

 

天保6年(1835年)、27代・島津斉興によって造営されました。

 

 

旧島津氏玉里邸庭園は、鹿児島市玉里町にあります。

 

この記事では、庭園の概要を紹介します。

 

 

旧島津氏玉里邸庭園の概要

黒門

黒門

黒門

 

庭園には、こちらの黒門から入ります。

 

真っ黒!

 

 

明治20年(1887年)、斉興の息子・島津久光が、庭園で亡くなりました。

 

そこで、久光の国葬に間に合うように

  • 国葬道路
  • 黒門

が、急ピッチで造られました。

 

以来、黒門が正門として使われ、現在に至ります。

 

 

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茶室

茶室

茶室

茶室

茶室

 

庭園に入って、まず目に付くのが茶室です。

 

古い建物だね。

江戸時代に造営された、当時のままなの?

 

 

造営当時の茶室は、明治10年(1877年)に西南戦争で焼失しました。

 

現在の茶室は明治12年(1879年)に、久光によって再建されたものです。

 

書院造で

  • 客間6畳
  • 次の間6畳
  • 控えの間6畳

の、3部屋から成っています。

 

 

ちなみに茶室の雨戸は、こう閉めます。

 

へ?

 

 

雨戸

雨戸

 

クルッ。

 

 

雨戸

雨戸

 

クルッ。

 

 

雨戸

雨戸

 

ポン!

 

おおーっ!

 

 

これは雨戸返しと言って、角に棒を立て、スムーズに雨戸を閉めるための装置。

 

仙巌園の御殿も、同じ雨戸返しです。

 

訪問された際、注意深く見て下さいね。

 

 

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キリシタン灯籠

キリシタン灯籠

キリシタン灯籠

 

この変わった形の石灯籠は、キリシタン灯籠と呼ばれています。

 

え!

江戸時代って、キリスト教は禁教じゃなかったっけ?

 

 

嘉永4年(1851年)、斉興が隠居して庭園に住み始めます。

 

安政6年(1859年)に逝去後は、斉興の養女である勝姫が居住しました。

 

実は、この勝姫が隠れキリシタンで、ひそかに石灯籠を拝んだと言われています。

 

 

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磯石

磯石

磯石

 

なっ!?

大きい石!

 

この石は、鹿児島市の磯海岸から運ばれてきました。

 

 

巨石は磯海岸で53個に分割され、庭園に運搬されました、

 

そして現在の場所で、再び継ぎ固められました。

 

 

鶴の池

鶴の池

鶴の池

 

最後に紹介するのが、鶴の池。

池から2本の短い棒が出ているのが、見えますか?

 

見えた!

あれは何?

 

 

鶴の池から出ている棒は、小舟を係留するためのもの。

 

桜の咲く浮島近くに小舟を浮かべ、お花見を船上で行ったと伝えられています。

 

 

旧島津氏玉里邸庭園のアクセス・駐車場・料金

営業時間 午前9時~午後5時
休園日 火曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
場所 鹿児島市玉里町27-20
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で30分
鹿児島中央駅から車で15分
女子高前バス停から徒歩1分
電話 099-222-2627
HP なし

 

 

旧島津氏玉里邸庭園の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

旧島津氏玉里邸庭園の総評

 

散策には、適度な広さだね。

 

昼食後の腹ごなしに、ちょうどいいですよ(笑)

 

 

入場無料で、トイレ付き。

 

運が良ければ、関係者が無料ガイドをしてくれます。

 

 

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