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別府晋介誕生地|アクセス・駐車場・料金

投稿日:2018年7月18日 更新日:

別府晋介誕生地

別府晋介誕生地

 

別府晋介って、どニャた様?

 

西南戦争で、西郷隆盛を介錯した人物です。

 

 

別府晋介誕生地は、鹿児島市吉野町にあります。

 

当記事では、誕生地の概要のほか、別府の人生を簡単に紹介します。

 

 

 

 

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別府晋介誕生地の概要

出入口

出入口

出入口

別府晋介誕生地は、山あいの住宅地にあります。

まずは、市道に設置された案内板を見つけてください。

 

ここから90m歩いたところにあるのかニャ?

 

 

通路

通路

通路

誕生地までは一本道。

道なりに行けば、迷うことはないでしょう。

 

途中で幅が狭くニャるから、車では通れないニャー。

 

 

案内板

通路

通路

通路途中にも、案内板が立っています。

この階段を上ったところが、別府の誕生地です。

 

階段の向こうに、何かあるニャ!

 

 

石碑

石碑

石碑

誕生地には、石碑が建っています。

なお私有地のため、立ち入り時間は午後6時までです。

 

立派な石碑ニャ~。

 

 

謹書

謹書

石碑の文字は、西郷の長男・菊次郎が謹書しました。

菊次郎も西南戦争に参戦し、右足を失うも命は助かりました。

 

父親を介錯してくれた別府に、菊次郎は感謝してたと思うニャ。

 

 

 

 

別府晋介の人生

誕生

桐野利秋誕生地

桐野利秋誕生地

弘化4年(1847年)、別府は父・十郎の次男として、吉野で生まれました。

家格は、西郷と同じ御小姓与(ごしょうよ)。

近所に住む従兄弟の桐野利秋とは、兄弟以上に仲が良い間柄でした。

 

ニャるほど~。

 

 

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戊辰戦争

明治元年(1868年)の戊辰戦争では、城下四番隊長として、白河口の戦い・棚倉城の戦い・二本松戦の戦いで活躍。

翌年、賞典禄8石を賜りました。

 

勇猛な人だったんだニャー。

 

 

陸軍大尉

明治4年(1871年)には西郷に従い、御親兵として上京。

のちに陸軍大尉となります。

また明治5年(1872年)に征韓論争が起きると、西郷の密命で朝鮮に渡航しました。

 

西郷さんから信頼されてたんだニャー。

 

 

私学校幹部

私学校跡

私学校跡

しかし明治6年(1873年)、西郷が征韓論争に敗れて下野。

別府も鹿児島に帰郷しました。

そして、明治7年(1874年)に設立された私学校の幹部に就任。

明治8年(1875年)には、加治木区長にも就きました。

 

人の上に立つ器を持ってたんだニャ。

 

 

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西郷を介錯・戦死

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

しかし明治10年(1877年)、西南戦争が勃発。

別府は、六番・七番連合大隊長や、破竹隊大隊長を務めます。

しかし敗北が重なり、同年9月24日に西郷を介錯。

その後は弾雨のなか撃たれたとも、切腹したとも伝わっています。

 

寂しい結末ニャ。

 

 

別府は出陣の時点で、万一の介錯役を西郷から任されていました。

 

享年31才。

 

墓は、西郷と同じ南洲墓地にあります。

 

 

 

 

別府晋介誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 日中~午後6時
休園日・休館日 なし
場所 鹿児島市吉野町251
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で35分
鹿児島中央駅から車で20分
新実方橋バス停から徒歩3分

 

 

別府晋介誕生地の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

別府晋介誕生地の総評

西郷さんから、ずいぶん信頼されてたみたいだニャー。

 

西郷だけでなく、部下からの信頼も厚い人間でした。

もちろん、問題点がなかった訳でもありません。

しかし、

「最後は、晋どんの手で死にたい」

と西郷に思わせる、何かがあったことは間違いありません。

 

 

また周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

 

 

 

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