別府晋介誕生地

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別府晋介誕生地

別府晋介誕生地

 

別府晋介って、どニャた様?

 

西南戦争で、西郷隆盛を介錯した人物です。

 

 

別府晋介誕生地は、鹿児島市吉野町にあります。

 

当記事では、誕生地の概要や、別府の人生を簡単に紹介します。

 

 

 

 

別府晋介誕生地の概要

出入口

出入口

出入口

別府晋介誕生地は、山あいの住宅地にあります。

まずは、市道に設置された案内板を見つけて下さい。

 

ここから90m歩いたところにあるのかニャ?

 

 

 

通路

通路

通路

誕生地までは一本道。

道なりに行けば、迷うことはないでしょう。

 

途中で幅が狭くニャるから、車では通れないニャー。

 

 

案内板

通路

通路

通路途中にも、案内板が立っています。

この階段を上ったところが、別府の誕生地です。

 

階段の向こうに、何かあるニャ!

 

 

石碑

石碑

石碑

誕生地には、石碑が建っています。

なお私有地のため、立ち入り時間は午後6時までです。

 

立派な石碑ニャ~。

 

 

謹書

謹書

石碑の文字は、西郷の長男・菊次郎が謹書しました。

菊次郎も西南戦争に参戦し、右足を失うも命は助かりました。

 

父親を介錯してくれた別府に、菊次郎は感謝してたと思うニャ。

 

 

 

 

別府晋介の人生

誕生

桐野利秋誕生地

桐野利秋誕生地

弘化4年(1847年)、別府は父・十郎の次男として、吉野で生まれました。

家格は、西郷と同じ御小姓与(ごしょうよ)。

近所に住む従兄弟の桐野利秋とは、兄弟以上に仲が良い間柄でした。

 

ニャるほど~。

 

 

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戊辰戦争

明治元年(1868年)の戊辰戦争では、城下四番隊長として、白河口の戦い・棚倉城の戦い・二本松戦の戦いで活躍。

翌年、賞典禄8石を賜りました。

 

勇猛な人だったんだニャー。

 

 

陸軍大尉

明治4年(1871年)には西郷に従い、御親兵として上京。

のちに陸軍大尉となります。

また明治5年(1872年)に征韓論争が起きると、西郷の密命で朝鮮に渡航しました。

 

西郷さんから信頼されてたんだニャー。

 

 

私学校幹部

私学校跡

私学校跡

しかし明治6年(1873年)、西郷が征韓論争に敗れて下野。

別府も鹿児島に帰郷しました。

そして、明治7年(1874年)に設立された私学校の幹部に就任。

明治8年(1875年)には、加治木区長にも就きました。

 

人の上に立つ器を持ってたんだニャ。

 

 

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西郷を介錯・戦死

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

しかし明治10年(1877年)、西南戦争が勃発。

別府は、六番・七番連合大隊長や、破竹隊大隊長を務めます。

しかし敗北が重なり、同年9月24日に西郷を介錯。

その後は弾雨のなか撃たれたとも、切腹したとも伝わっています。

 

寂しい結末ニャ。

 

 

別府は出陣の時点で、万一の介錯役を西郷から任されていました。

 

享年31才。

 

墓は、西郷と同じ南洲墓地にあります。

 

 

 

 

別府晋介誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 日中~午後6時
休園日・休館日 なし
場所 鹿児島市吉野町251
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で35分
鹿児島中央駅から車で20分
新実方橋バス停から徒歩3分

 

 

 

別府晋介誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

別府晋介誕生地の総評

西郷さんから、ずいぶん信頼されてたみたいだニャー。

 

西郷だけでなく、部下からの信頼も厚い人間でした。

もちろん、問題点がなかった訳でもありません。

しかし、

「最後は、晋どんの手で死にたい」

と西郷に思わせる、何かがあったことは間違いありません。

 

 

 

 

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