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別府晋介の墓

別府晋介の墓

別府晋介の墓

 

別府晋介って、西郷さんを介錯した人だよね。

 

ですです。

介錯で歴史に名を残したと言っても、過言ではありません。

 

 

別府晋介の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。

 

この記事では、別府晋介の最期を紹介します。

 

 

別府晋介の最期

遺書

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

 

明治10年(1877年)9月23日、別府は、城山の洞窟で遺書を書き、両親に50円ずつ送りました。

翌朝の総攻撃を、政府軍が予告したためです。

 

死への準備か~。

他の兵士たちも、同様に遺書を書いたろうね。

 

 

なお、別府の遺書は、西郷南洲顕彰館に展示されています。

 

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西郷を介錯

西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

 

明治10年(1877年)9月24日の午前4時頃、政府軍による総攻撃が始まります。

そして午前6時頃、別府は西郷や幹部達と、洞窟から大保塁のある岩崎口まで下り、最後の戦いに挑むことを決めました。

 

いよいよ.......!

 

 

その下る途中、西郷が腹と股に被弾します。

 

動けなくなった西郷は、別府に介錯を依頼。

 

「御免なったもんせーっ!(お許し下さい!)」

 

と、別府は涙ながらに叫び、一閃で首を落としました。

 

 

 

 

別府の最期

南洲墓地

南洲墓地

 

介錯後、別府は西郷の従僕・吉左衛門に命じ、折田正助邸前の溝川に、首を埋めさせました。

その後の別府は、弾雨のなか撃たれたとも、切腹したとも言われています。

 

西郷さんの首は、見つからずに済んだの?

 

 

西郷の首は大雨によって露出し、政府軍の千田登文に発見され、旧浄光明寺(現在の南洲墓地)にいた参軍、山県有朋と川村純義に届けられました。

 

別府の遺体も同地に運ばれ、仮埋葬された後、現在の墓が建てられました。

 

 

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別府晋介の墓のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市上竜尾町2-1
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
南洲公園入口から徒歩5分
カゴシマシティビュー
西郷南洲顕彰館前から下車すぐ

 

 

別府晋介の墓の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

桐野利秋の墓の総評

 

西郷の最期は、別府の輿持ちだった大内山平畩の証言により、現在に伝わっています。

介錯したのは桐野利秋との説もありますが、大内山が見間違いや勘違いをした可能性は、かなり低いと思いますよ。

 

なるほどねー。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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