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琉仲祐の墓

投稿日:2018年6月13日 更新日:

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徳嶋仲祐の墓

琉仲祐の墓

琉仲祐(りゅうなかゆう)って、何をした人なの?

 

徳之島に流された西郷隆盛の世話を、親身に行った人物です。

 

琉仲祐の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、仲祐の後半生について紹介します。

 

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琉仲祐の人生

西郷を世話

西郷隆盛肖像画

西郷隆盛肖像画

文久2年(1862年)、西郷は、薩摩藩の国父・島津久光の怒りを買い、徳之島に流されました。

 

たしか、西郷さんと久光は、仲が良くなかったんだよね。

 

仲祐の父・琉仲為(りゅうなかため)は、西郷が蟄居した岡前の有力者で、郷士格の身分でした。

 

そのため、本土から送られてきた格上の西郷を、琉親子は親身に世話をしました。

 

西郷を護送

愛加那肖像画

愛加那肖像画

西郷の蟄居中、奄美の島妻・愛加那が、子の菊太郎・菊草を連れて会いに来ました。

しかし、西郷を沖永良部島へ再遠島に処す命令が、再会した当日に下されました。

 

ええ~っ!

非情~っ!

 

翌日、仲祐は、西郷を出港地の井之川まで護送。

 

父・仲為は、愛加那親子の奄美帰島を取り計らい、土産を持たせ、無事に送り出しました。

 

鹿児島へ

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

元治元年(1864年)、西郷は罪を赦されます。

復路に際し、西郷は仲祐を同伴させ、家来として自分の手元に置く事にしました。

西郷なりの、琉親子への恩返しでした。

 

たしかに、西郷さんの下にいた方が、見聞も広まるし、出世のチャンスも見えてくるだろうね。

 

 

病死

徳嶋仲祐の墓

琉仲祐の墓

その後、西郷は仲祐を伴い、上京します。

しかし、その京で病に倒れ、慶応2年(1866年)12月26日、不帰の人となりました。

 

えーっ!

西郷さん、父の仲為に何と言えばいいのやら状態......。

 

西郷は、京の林光院に御香華料に寄進し、仲祐の墓を建立しました。

 

また、徳之島の仲為に、遺体調査書と遺髪を送付。

 

さらに、鹿児島に供養墓を建て、仲祐の冥福を祈りました。

 

参考HP

 

琉仲祐の墓の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市常盤2丁目2-14
【料】 無料
【駐】 なし
【交】 鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

琉仲祐の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

琉仲祐の墓の総評

その鹿児島に建てた供養墓が、このお墓なんだね。

 

ですです。

 

なお、供養墓の前面に、琉仲祐の文字は刻まれていません。

 

法号の〈玄道智徳居士〉を手掛かりに、お探し下さい。

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 

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