城山エリア

西南戦争薩軍本営跡

西南戦争薩軍本営跡

西南戦争薩軍本営跡

 

明治10年(1877年)の西南戦争で、西郷軍は敗戦と撤退を重ねました。

西南戦争薩軍本営跡は、最後の本営が置かれた場所です。

 

いよいよ戦争は、終局に向かっていったんだね。

 

 

西南戦争薩軍本営跡は、鹿児島市城山町にあります。

 

この記事では、本営跡の概要と逸話を紹介します。

 

 

西南戦争薩軍本営跡の概要

出入口

出入口

出入口

 

本営跡に行くにはまず、城山展望台の出入口から入ります。

 

ほいほーい。

 

 

近年、クルーズ船の入港増加により、駐車場に観光バスが多く停まるようになりました。

 

そのため、出入口の交通量は比較的多めです。

 

ご注意下さい。

 

 

通路

通路

通路

 

展望台に向かう通路途中に、階段があります。

こちらをお昇り下さい。

 

階段だけだから、車椅子の人は介助が必要だね。

 

 

通路(城山ドン広場)

通路(城山ドン広場)

 

階段を昇ると、〈城山ドン広場〉があります。

ここではかつて、正午の時報を知らせる空砲が撃たれていました。

 

『ドン』は、空砲音の事かな?

面白い名前~。

 

 

通路

通路

 

広場奥に進むと、ちょっとした階段があります。

こちらを上に進んで下さい。

 

肥満体だから、少しの階段でも汗をかいちゃう(笑)

 

 

通路(コンクリート建造物)

通路(コンクリート建造物)

 

階段を昇って少し歩くと、通路左手にコンクリート建造物が見えてきます。

この建造物に向かって、歩いて下さい。

 

あれ?

フェンス近くに、何かある?

 

 

石碑

石碑

石碑

 

このコンクリート建造物の近くに、本営跡の石碑が建っています。

 

ここが本営跡か~!

 

 

明治10年(1877年)9月1日、西郷軍は鹿児島に帰ってきました。

 

この時の兵力は、約500人。

 

私学校を占領していた官軍200人を追い払った後、ここに本営を構えました。

 

 

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西南戦争薩軍本営跡の逸話

桐野利秋と貴島清

西南戦争官軍本営跡

西南戦争官軍本営跡

 

9月3日、戦局の転換を図るため、精鋭の抜刀隊による官軍本営急襲が決まります。

隊長は、自ら申し出た貴島清。

終始相容れない関係だった桐野利秋と別れの杯を交わし、ようやく2人は心から打ち解けました。

 

その後、貴島はどうなったの?

 

 

翌9月4日の午前3時頃、貴島清は、副隊長の増田宗太郎以下70名と、官軍本営を襲いました。

 

当初は塁壁を突破するも、やがて官軍の援軍が到着。

 

怒涛の銃撃に倒れ、貴島は死に場所を得ました。

 

 

 

 

西南戦争薩軍本営跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市城山町21-6
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で20分
まち巡りバス
城山から徒歩5分
カゴシマシティビュー
城山から徒歩5分

 

 

西南戦争薩軍本営跡の地図

→Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西南戦争薩軍本営跡の総評

 

鶴丸城裏の城山は、戦になった時の本城として、かつて薩摩を統治していた島津家が想定していた場所でした。

そのため西郷軍も、城山に本営を置いたと考えられます。

 

なるほど~。

確かに市街地より山に籠もった方が、守りが堅いもんね。

 

 

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この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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