西南戦争薩軍本営跡は、最後の本営が置かれた場所です。
西南戦争薩軍本営跡は、鹿児島市城山町にあります。
この記事では、本営跡の概要と逸話を紹介します。
西南戦争薩軍本営跡の概要
出入口
近年、クルーズ船の入港増加により、駐車場に観光バスが多く停まるようになりました。
そのため、出入口の交通量は比較的多めです。
ご注意下さい。
通路
こちらをお昇り下さい。
ここではかつて、正午の時報を知らせる空砲が撃たれていました。
面白い名前~。
こちらを上に進んで下さい。
この建造物に向かって、歩いて下さい。
フェンス近くに、何かある?
石碑
明治10年(1877年)9月1日、西郷軍は鹿児島に帰ってきました。
この時の兵力は、約500人。
私学校を占領していた官軍200人を追い払った後、ここに本営を構えました。
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西南戦争薩軍本営跡の逸話
桐野利秋と貴島清
隊長は、自ら申し出た貴島清。
終始相容れない関係だった桐野利秋と別れの杯を交わし、ようやく2人は心から打ち解けました。
翌9月4日の午前3時頃、貴島清は、副隊長の増田宗太郎以下70名と、官軍本営を襲いました。
当初は塁壁を突破するも、やがて官軍の援軍が到着。
怒涛の銃撃に倒れ、貴島は死に場所を得ました。
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西南戦争薩軍本営跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市城山町21-6 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で20分 | |
まち巡りバス 城山から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 城山から徒歩5分 |
西南戦争薩軍本営跡の地図
西南戦争薩軍本営跡の総評
そのため西郷軍も、城山に本営を置いたと考えられます。
確かに市街地より山に籠もった方が、守りが堅いもんね。
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