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調所笑左衛門広郷邸跡

調所笑左衛門広郷邸跡

調所笑左衛門広郷邸跡

 

調所広郷って、だーれ?

 

薩摩藩の財政を立て直した人物です。

その褒美で、調所は平之町の屋敷を賜りました。

 

 

調所笑左衛門広郷邸跡は、鹿児島市平之町にあります。

 

この記事では、調所広郷による財政改革を紹介します。

 

 

調所広郷による財政改革

島津重豪の借金

調所笑左衛門広郷邸跡の石碑

石碑

 

25代・島津重豪は、造士館や演武館などを創設。

薩摩藩の文化水準向上に、貢献しました。

 

ふむふむ。

 

 

一方、それに伴う

  • 支出
  • 蘭癖ぶり
  • 高利貸しからの借金

で、負債は最大500万両まで膨れ上がりました。

 

 

 

 

財政改革主任

琉球館跡

琉球館跡

 

なお、この頃の藩の産物量収入は年14万両、経常収入は20万両弱でした。

 

絶対に返せないーっ!

 

 

そこで重豪は、琉球口貿易を担当して利益を出していた調所を、藩の財政改革主任に抜擢。

 

文政11年(1828年)、調所53歳の初夏でした。

 

 

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2つの追加命令

 

まず調所は、大坂商人の出雲屋や平野屋の協力を得て、改革資金を調達します。

 

財政が危ない藩に、よく貸したねー。

 

 

これに気を良くした重豪は、天保元年(1830年)、以下2つの命令を新たに与えました。

 

  1. 50万両の備蓄の蓄え
  2. 古い借金証文の取り返し

 

そこで調所は、主に次の手法を採用しました。

 

 

黒砂糖の専売制強化

 

でも、いくら何でも無理じゃない?

年20万両弱の収入しかないんでしょ?

 

その無理を通すために、苛烈な搾取が行われました。

 

 

調所は以下の政策を実施し、藩の収入を着実に増やしました。

 

  • 特産品の品質改良と増産
  • 販売方法の改善
  • 琉球口貿易と、それを隠れ蓑とした密貿易の拡大

 

なかでも黒砂糖は、10年間に235万両を売り上げた稼ぎ頭でした。

 

しかし奄美大島、徳之島、喜界島の3島では、砂糖地獄と呼ばれるほどの厳しい取り立てが行われました。

 

 

抜砂糖は死罪、共犯者は遠島。

指先につけて舐めれれば、鞭打ち。

サトウキビの盗み食いは、たとえ相手が子供でも、棒しばりにして晒しました。

 

ひえ~っ!

 

 

借金の250年無利子返済

 

そして、お金を貸していた商人達に、

「借金を無利子で250年に渡って返済する」

と、一方的に宣言します。

 

暴動が起きそう!

 

 

借金の250年無利子返済に対し、商人達は町奉行に訴えます。

 

しかし調所は、幕府に10万両を献上するなどの裏工作を事前に進めており、不平不満の押さえ込みに成功しました。

 

 

調所笑左衛門広郷邸跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市平之町5-2
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩15分
まち巡りバス
鹿児島中央駅から徒歩15分
カゴシマシティビュー
鹿児島中央駅から徒歩15分

 

 

調所笑左衛門広郷邸跡の地図

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調所笑左衛門広郷邸跡の総評

 

調所は借金整理の目処が付くと、200万両をつぎ込み、五石橋などの社会資本整備を進めました。

 

200万両!

 

 

弘化4年(1847年)には50万両の備蓄に成功し、鶴丸城二ノ丸の宝蔵に納めます。

 

そのお金が、のちの集成館事業を支えました。

 

歴史は一面的ではなく、多面的に見る必要があることを教えてくれるスポットです。

 

 

 

 

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