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徳嶋仲祐の墓

徳嶋仲祐の墓

徳嶋仲祐の墓

 

徳嶋仲祐(なかゆう)って、だーれ?

 

徳之島に流された西郷隆盛の世話を、親身に行った人物です。

 

 

徳嶋仲祐の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、仲祐の晩年を紹介します。

 

 

徳嶋仲祐の晩年

西郷を世話

 

文久2年(1862年)、西郷は薩摩藩の国父・島津久光の怒りを買い、徳之島に流されました。

 

たしか、西郷さんと久光は仲が良くなかったんだよね。

 

 

仲祐の父・徳嶋仲為(なかため)は、西郷が蟄居した岡前の有力者で、郷士格の身分でした。

 

そのため徳嶋親子は、格上の西郷の世話を親身に行いました。

 

 

西郷を護送

愛加那肖像画

愛加那肖像画

 

西郷の蟄居中、奄美の島妻・愛加那が、子の菊次郎・菊草を連れて会いに来ます。

しかし、西郷を沖永良部島へ再遠島に処す命令が、再会した当日に下されました。

 

ええ~っ!

非情~っ!

 

 

翌日、仲祐は西郷を出港地・井之川まで護送。

 

父・仲為は、愛加那親子の奄美帰島を取り計らい、土産を持たせて無事に送り出しました。

 

 

鹿児島へ

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

 

元治元年(1864年)、西郷は罪を赦されます。

復路に際し、西郷は仲祐を同伴させ、家来として自分の手元に置くことにしました。

西郷なりの、徳嶋親子への恩返しでした。

 

たしかに、西郷さんの家来の方が見聞も広まるし、出世のチャンスも見えてくるだろうしね。

 

 

 

 

病死

徳嶋仲祐の墓

徳嶋仲祐の墓

 

その後、西郷は仲祐を伴って上京します。

しかし、仲祐は京で病に倒れ、慶応2年(1866年)に不帰の人となりました。

 

えーっ!

西郷さん、父の仲為に何と言えばいいやら状態......。

 

 

西郷は、京の林光院に御香華料に寄進し、仲祐の墓を建立しました。

 

また徳之島の仲為に、遺体調査書と遺髪を送付。

 

さらに鹿児島に供養墓を建て、仲祐の冥福を祈りました。

 

 

徳嶋仲祐の墓のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市常盤2丁目2-14
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

 

徳嶋仲祐の墓の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

徳嶋仲祐の墓の総評

 

その鹿児島に建てた供養墓が、このお墓なんだね。

 

ですです。

 

 

なお供養墓の前面に、徳嶋仲祐の文字は刻まれていません。

 

法号の〈玄道智徳居士〉を手掛かりに、お探し下さい。

 

 

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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