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西郷園の墓

西郷園の墓

西郷園の墓

 

西郷園って、だーれ?

 

西郷隆盛の弟、西郷吉二郎と結婚した女性です。

 

 

西郷園の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、園の人生を簡単に紹介します。

 

 

西郷園の人生

誕生

 

園の誕生年月日は、よく分かっていません。

園は、明治時代に海軍大臣を務めた仁礼景範の妹でした。

 

ふむふむ。

 

 

結婚

西郷マスの墓

西郷マスの墓

 

慶応元年(1865年)、吉二郎の最初の妻・マスが、長女・みつ(3才)と長男・隆準(2才)を遺し、病死します。

その2年後の慶応3年(1867年)、吉二郎は園を迎えて再婚しました。

 

つまり園は、遺児2人の面倒を見ることになったんだね。

 

 

未亡人に

西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

 

しかし明治元年(1868年)、戊辰戦争で吉二郎が戦死します。

結婚生活は、約1年半。

2人の間に子供はいませんでした。

 

なんと!

 

 

しかし園は、西郷家に留まります。

 

そして、遺児2人の子育てを続けました。

 

 

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西南戦争・避難

西郷南洲野屋敷跡

西郷南洲野屋敷跡

 

明治10年(1877年)には、西南戦争が勃発します。

園は一家総出で、西別府などに避難。

使用人を含む計16人が、薄粥をすすって静かに暮らしました。

 

隆盛の家族・親戚にとって、大変な時期だったろうね。

 

 

 

 

育児・死去

西郷武屋敷跡

西郷武屋敷跡

 

戦後の園は、義弟・西郷従道が再建した武屋敷に居住します。

そして、遺児2人の子育てに再び専念しました。

のちに、みつは足立家に嫁いで7人の子を出産。

隆準はドイツに留学後、宮内省や台湾総督府に勤めました。

 

血の繋がらない2人の遺児を、園は立派に育て上げたんだね。

 

 

明治29年(1896年)、園は推定55才で亡くなりました。

 

お墓は吉二郎の前妻、マスの隣に建っています。

 

 

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西郷園の墓のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市常盤2丁目2-14
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

 

西郷園の墓の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷園の墓の総評

 

西郷家の墓に、詳細な案内板はありません。

しかし園の墓は、すぐに見つけられるでしょう。

 

「西郷園子」と刻まれた。少し赤い墓石が目印です!

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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