西郷満佐の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。
この記事では、母としての満佐や、逝去前の逸話を紹介します。
母としての西郷満佐
七人を産む
内職で家計を支える
そのため満佐は、針仕事の内職で家計を助けました。
しかし満佐は子供達に、
「貧乏は恥ずかしいことではなく、貧乏に負けるのが恥ずかしいのです。」
と、励ましました。
その甲斐もあり、子供達は皆無事に成長しました。
落飾・死去
同年に夫の吉兵衛も病気がちになり、満佐も病に臥すようになりました。
同年9月27日、吉兵衛が亡くなると、満佐は病床のなか自ら髪を切って落飾。
そして同年11月29日、後を追うように亡くなりました。
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西郷満佐の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市常盤2丁目2-14 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
鹿児島中央駅から徒歩20分 | |
花岡通バス停から徒歩5分 |
西郷満佐の墓の地図
西郷満佐の墓の総評
満佐の墓は、圓眞霜鏡大姉の法号が目印。
西郷家の墓を1つずつチェックしていけば、見つかるはずです。
西郷満佐は、夫の吉兵衛の臨終の際には、満佐も病気で床についていましたが、寝たままで自分の髪を切り、夫との別れを惜しんだと言われています。
そして、夫の死のまずか二ヵ月後に死去しました。#西郷どん #西郷満佐 #背中の母 #西郷家の人びと #原口泉— Ryoko Harada (@ryodon315) 2018年2月18日
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