尚古集成館

投稿日:2018年7月23日 更新日:

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尚古集成館

尚古集成館

尚古集成館って、なーに?

 

かつては、慶応元年(1865年)に建てられた機械工場でした。

現在は、島津家の歴史や文化、集成館事業を語り継ぐ博物館として活用されています。

 

 

尚古集成館は、鹿児島市吉野町にあります。

 

館内撮影禁止のため、この記事では外観の見どころと歴史を紹介します。

 

 

 

 

尚古集成館外観の見どころ

玄関

玄関

玄関

まずは、尚古集成館の玄関から紹介します。

建造当初はなく、大正9年(1920年)の改装で設置されました。

 

尚古集成館の屋根は、玄関も含めて全て瓦葺なんだね。

不思議な建物だな~。

 

 

外壁

外壁

外壁

溶結凝灰岩

外壁の石材には、溶凝凝灰岩が使われています。

鹿児島市の小野で採れたので、〈小野石〉と呼ばれています。

 

ノミで削った跡が残ってる!

当時の職人の息吹だね。

 

 

窓

尚古集成館の窓も、大正9年(1920年)の改装で取り付けられました。

西欧窓のアーチは、小さなレンガで形造るのが一般的。

ですが、尚古集成館の窓のアーチは、大きな石で造られました。

 

本当だ~!

 

 

亀腹

亀腹

亀腹

外壁や窓の下に目をやると、丸みを帯びた石が並んでいます。

これは、寺社建築で使われる〈亀腹〉と呼ばれる土台で、水はけを良くするために設けられました。

 

尚古集成館は、和洋折衷の建物なんだね。

 

 

尚古集成館の歴史

建設・操業開始

島津忠義公之像

島津忠義公之像

元治元年(1864年)、29代・島津忠義の命により、尚古集成館の前身にあたる機械工場の建設が始まりました。

翌慶応元年(1865)年には、操業が開始。

集成館事業の工場で使われる機械を整備・修復したり、船の部品を製造しました。

 

へ~っ!

 

 

機械工場は、建造当初からストンホームと呼ばれていました。

 

そのため、イギリス人が建設に関わったとも言われています。

 

しかし、建築方法などに混乱が見られる事から、日本人が長崎製鉄所や西洋の文献をもとに、試行錯誤の末に造った事が分かっています。

 

また、当時使われていたオランダ製の形削盤が、現在の尚古集成館に展示されています。

 

 

開館

看板

看板

明治維新以降、機械工場は政府所有となりました。

のちに島津家が再所有するも、大正4年(1915年)に工場としての役割を終えます。

そして、改装して博物館にする事が決まりました。

 

玄関や窓は、その改装で設けられたんだね。

 

 

そして大正12年(1923年)、30代・島津忠重によって尚古集成館が開館しました。

 

〈尚古〉には、

 

「古(いにしえ)の精神を尚(とうと)び、模範する」

 

との意味が込められています。

 

 

尚古集成館の基本情報

営業時間 午前8時30分~午後5時30分
休館日 年中無休
場所 鹿児島市吉野町9698-1
入場料 大人・高校生以上1,000円(仙巌園と共通)
小中学生500円(仙巌園と共通)
駐車場 1日300円
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で20分
まち巡りバス 仙巌園前から徒歩1分
カゴシマシティビュー  仙巌園前から徒歩1分
電話 099-247-1511
HP 尚古集成館

 

 

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尚古集成館の地図

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尚古集成館の総評

尚古集成館別館

尚古集成館別館

尚古集成館の収蔵庫は、気温や湿度の変動幅が大きく、資料の保管に向いていませんでした。

そこで平成元年(1898年)、隣に別館が建てられ、適正な温度と湿度で保存されるようになりました。

 

良かったね!

 

 

なお、尚古集成館の展示は、ほぼ固定されています。

 

しかし、別館では企画展が催され、普段は鑑賞出来ない珍しい品が展示されます。

 

こちらにも足を運ぶと良いでしょう。

 

 

また、周辺には

 

  1. 旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
  2. 鹿児島紡績所跡
  3. 磯工芸館
  4. 仙巌園

 

などの観光スポットもあります。

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

 

尚古集成館周辺のホテル

 

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