「くすこう神社跡」って読むの?
「なんこう神社跡」と読みます。
楠公とは、かつて後醍醐天皇を助けた忠臣・楠木正成のことです。
戦前は、大楠公として崇められました。
楠公神社跡は、鹿児島市石谷町にあります。
この記事では、楠公神社跡の概要や、歴史と逸話を紹介します。
楠公神社跡の概要
出入口
案内板は、とても小さいです。
車でお越しの方は見逃さないように、現場近くでスピードを落として下さいね。
旧参道
ここを通って行きましょう。
マムシがいないか、ちょっと心配。。
ここを登って行きましょう。
石碑
ちなみに石碑に刻まれている紋章は、正成の家紋・菊水です。
周辺にある石谷小学校の校章は、この家紋をアレンジして作られました。
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楠公神社跡の歴史・逸話
創建
有馬は、熱烈な尊王攘夷の志士でした。
だから、後醍醐天皇を助けた正成を祀る神社を建てたんだね。
また大久保利通は、材木を運んで建築を助太刀。
落成式典にも駆け付けました。
参拝者
文久2年(1862年)、久光は率兵上京による文久の改革に成功。
大久保は帰国後、楠公神社にお礼参りをしました。
文久の改革とは、久光や朝廷によって果たされた幕政改革のことです。
安政の大獄で謹慎中だった一橋慶喜の将軍後見職と、松平春嶽の政事総裁職就任を成し遂げました。
当時、海外渡航は御法度でした。
でも、いち早く外国の知識や技術を得るために、必要だったんだろうね。
若者達は出港地の串木野に向かう道中、楠公神社に参拝します。
留学生の1人・町田久成は、地元石谷の領主で、かつて有馬に統治を託した過去がありました。
有馬が楠公神社を建てたのも、その統治期間中でした。
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もしかすると、神社への参拝は久成の提案で、亡き有馬への報告も兼ねていたかもしれませんね。
楠公神社跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市石谷町913 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 駐車スペースあり |
アクセス | 鹿児島中央駅から車で15分 |
農協前バス停から徒歩5分 |
楠公神社跡の地図
楠公神社跡の総評
県外から訪れる人は、生粋の歴史好きと言っても過言ではありません。
なお、夏場は蚊が多いです。
虫除けスプレーを掛けて、ご見学下さい。
チェック
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