松子は、西郷隆盛の末弟・小兵衛に嫁ぎ、幸吉は長男として生まれました
西郷松子と幸吉の墓は、鹿児島市常盤1丁目の西郷家の墓にあります。
この記事では、2人の人生を簡単に紹介します。
西郷松子と幸吉の人生
松子誕生
結婚・幸吉の誕生
そして松子は、帰郷したばかりの小兵衛と、結婚することになりました。
2人は武屋敷で生活を送り、明治9年(1876年)には、長男の幸吉が誕生。
しかし、生後まもなく脳膜炎に掛かり、障碍が残りました。
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西南戦争
小兵衛は戦死し、居住していた武屋敷も、政府軍に燃やされました。
2人を含む西郷一家は、西別府の屋敷に避難。
明治12年(1880年)になると、西郷の次弟・従道が、幸吉名義で武屋敷を再建します。
こうして、一家は再び武村に住みました。
別れ・幸吉の死
西郷の妻であった糸は、長男の寅太郎と東京で同居を始めます。
居候の川口雪篷や、義姉の園は、明治中期に死去。
大正7年(1918年)には幸吉も亡くなり、武屋敷の住人は、松子1人となりました。
新たな子育て・松子の死
遺児達は、鹿児島二中(現在の甲南高校)に通い、勉学に励みました。
そして、昭和18年(1943年)に、松子は亡くなります。
享年87才の長命でした。
西郷松子と幸吉の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市常盤2丁目2-14 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
鹿児島中央駅から徒歩20分 | |
花岡通バス停から徒歩5分 |
西郷松子と幸吉の墓の地図
西郷松子と幸吉の墓の総評
直熊作の西郷肖像画を見た松子は、
「世に多くの肖像画があるが、この右に出るものは少ない」
と、評しました。
その松子と息子の幸吉が眠るお墓は、他の西郷家の墓とくらべ、比較的新しいです。
そのため、すぐに見つけることができます。
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