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大久保満寿子誕生地

大久保満寿子誕生地

大久保満寿子誕生地

 

大久保満寿子って、だーれ?

 

あの維新三傑の1人、大久保利通に嫁いだ女性です。

 

 

大久保満寿子誕生地は、鹿児島市の常盤町1丁目にあります。

 

この記事では、誕生地の概要や、満寿子の人生を簡単に紹介します。

 

 

大久保満寿子誕生地の概要

出入口

出入口

出入口

出入口

出入口

 

誕生地に行くには、まず鹿児島市常盤1丁目24番地を目指して下さい。

番地の札がブロック塀に掲げてあるので、ここから細い路地に入っていきましょう。

 

案内板が無いから、これが目印変わりだね。

 

 

出入口の前後には、コカ・コーラの自販機と煙突の家があります。

 

こちらも大きい目印として覚えておくと良いでしょう。

 

 

誕生地

大久保満寿子誕生地

大久保満寿子誕生地

 

路地に入って道なりに進んでいくと、常盤1丁目22番地と書かれた札が見つかります。

ここが、満寿子の誕生地です。

 

出入口からすぐの場所にあったね。

 

 

誕生地には現在、一般住宅が建っています。

 

無断での立ち入りは、決してしないで下さい。

 

 

大久保満寿子の人生

誕生

大久保満寿子誕生地

大久保満寿子誕生地

 

満寿子は、早崎七郎右衛門の次女として、この地で生まれました。

 

どういう子供時代を過ごしたの?

 

 

子供時代をはじめ、ここの暮らしぶりは分かっていません。

 

誕生年も不明です。

 

 

嫁入り

大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地

 

安政4年(1857年)、満寿子は大久保のもとへ嫁入りします。

 

幸せな家庭だったのかなー?

 

 

嫁入りした満寿子は、3男2女の子宝に恵まれます。

 

夫婦仲は良好で、大久保も大変な子煩悩でした。

 

 

 

 

紀尾井坂の変・病死

 

明治7年(1874年)、満寿子は子供達と東京に移住し、政治家として多忙を極めていた夫と、再び暮らし始めます。

しかし、明治11年(1878年)、大久保は紀尾井坂で暗殺されました。

 

残された家族は、さぞ辛かったでしょうね......。

 

 

紀尾井坂の変を境に、満寿子は体調を崩します。

 

そして7ヵ月後、後を追うように亡くなりました。

 

 

大久保満寿子誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市常盤1丁目22
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩20分
常盤バス停から徒歩5分

 

 

大久保満寿子誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

大久保満寿子誕生地の総評

 

写真撮影や見学は、節度を持って行いましょう。

 

知らない人に家を撮られたり、ジロジロ見られたら、あんまりいい気はしないもんね。

訪問はスマートに済ませよう!

 

 

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