徒歩1分の場所に、互いの屋敷がありました。
大久保利通生い立ちの地は、鹿児島市加治屋町にあります。
この記事では、大久保利通生い立ちの地の概要や、逸話を紹介します。
大久保利通生い立ちの地の概要
出入口
生い立ちの地の木々は、クスノキです。
出入口は、甲突川沿いの遊歩道にもあります。
石碑
よく見ると、『誕生之地』と彫ってある。
ここは、生い立ちの地じゃなかったっけ?
「誕生之碑」と彫られたのは、誤伝によるもの。
高麗町にある本来の大久保利通誕生地に、比較的新しい石碑が建っています。
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牧野伸顕誕生地之碑
大きな石碑の隣に、牧野伸顕誕生地之碑が建っています。
生後間もなく牧野家に養子に出されるも、幼少時に養父が早世したため、牧野姓のまま大久保家で再び育てられました。
石板
石碑と石板は、 明治22年(1889年)に同時に建立されました。
なお、加治屋町の西郷隆盛誕生地にも、同じ大きさの石碑と石板が建っています。
西郷従道や大山巌らが、2人の遺跡が消滅することを憂慮し、石碑と石板を建立しました。
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大久保利通生い立ちの地の逸話
閉門・禁足
次右衛門は、琉球館附役を罷免され、喜界島へ遠島。
大久保も記録所書役助を罷免され、閉門と禁足が命じられました。
無給となり、豪商の森山新蔵に借金するなど、お由羅騒動は大久保家に大きな試練を与えました。
西郷隆盛
ほぼ毎日、西郷が大久保の家に行き、西郷が来なければ大久保が行くというほど、2人の仲は良好でした。
大久保が閉門中であっても、西郷は内密話をしに来たと、妹3人が後年のインタビューで答えています。
結婚
満寿子は、長男・利和や次男・伸顕などを生み、子宝に恵まれます。
また大久保自身、非常に子煩悩でした。
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朝風呂
ただの下級武士から藩政に参加できる立場となり、国父・島津久光に直接意見を述べられるようになりました。
久光の側近となった大久保は登城前、朝風呂に入って体を清めました。
後に明治政府内で対立する2人ですが、当時の大久保は、久光に非常に敬意を払っていました。
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大久保利通生い立ちの地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市加治屋町3-26 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
鹿児島中央駅から徒歩10分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩1分 |
|
カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩3分 |
大久保利通生い立ちの地の地図
大久保利通生い立ちの地の総評
文久3年(1863年)、新照院町に引っ越しました。
この時、大久保は34才。
御側役就任という、これまたスピード出世を果たした年でした。
生い立ちの地の横には、幼少時の大久保が遊んだ甲突川が流れています。
川沿いを散策するのも、オススメです。
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