迫田利済のお墓は、鹿児島市南林寺町の南林寺由緒墓にあります。
この記事では、迫田と西郷の交わりを紹介します。
迫田利済と西郷隆盛の交わり
出会い
迫田は農民の事を第一に考える豪傑で、各地で不正を働いた村役人を罰するなど、当時の薩摩では珍しい侍でした。
のちの西郷の農業や農民に対する考え方は、迫田の影響によるものと言っても、過言ではありません。
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西郷の役職
『郡方』とは、農村を巡回して調査を行い、年貢などの監督をする役所のこと。
『書役』は、文章の素案作り、記録、書写を担当する役職を指します。
一番最後の『助』は、臨時職や見習いを意味し、貧しい下級武士のために藩が設けました。
押し入れで語り合う
迫田の貧しさは、家に現れていました。
壁は落ち、ひさしはやぶれ、雨漏りのする家に住んでいました。
ある雨の日、西郷が訪れた時には雨漏りがひどく、押し入れの中で語り合ったほどです。
迫田の辞職
しかし藩庁は、年貢の取立てを例年通りに行うよう厳達します。
「虫よ虫よ 五ふし草の根を断つな 絶たば己も共に枯れなん」
と、奉行所の壁に書いて辞職しました。
虫は藩庁、五ふし草は農民を指します。
島津斉彬による西郷抜擢の礎
迫田は西郷に、
「出世して藩を改革し、民百姓の暮らしを良くせよ」
と、職に留まるよう諭します。
西郷は辞職を思い留め、のちに農政改革の意見書を藩に多数提出。
それらが、藩主・島津斉彬の目に留まり、後に庭方役に抜擢されることになりました。
迫田利済の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市南林寺町23-22 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 天文館から徒歩10分 |
|
カゴシマシティビュー 天文館から徒歩10分 |
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電話 | 南洲寺 099-222-5655 |
迫田利済の墓の地図
迫田利済の墓の総評
お墓の前面に彫られた戒名は、風松堂清山涼心居士。
南林寺由緒墓に被葬者の解説板は設置されていないので、戒名を手掛かりにお訪ね下さい。
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