西郷は蘇生しましたが、月照は不帰の人となりました。
西郷隆盛蘇生の家は、鹿児島市吉野町にあります。
この記事では、西郷隆盛蘇生の家の概要や、逸話を紹介します。
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西郷隆盛蘇生の家の概要
出入口
当時は海岸近くにありましたが、両線の開通に伴い、現在地に移転されました。
現在とは、少し離れた場所にあったんだね。
石碑
揮毫したのは、西郷と同じ加治屋町で育った東郷平八郎です。
明治38年(1905年)、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を連合艦隊が撃破します。
その時の司令長官が、東郷平八郎でした。
月照上人の遷化の碑
高僧が亡くなる事を、遷化と言います。
月照は、京の清水寺にある成就院の住職でした。
坂下長右衛門誕生之地の碑
これも後世に伝えるため、誕生之地の石碑が建てられました。
蘇生の家
150年以上前の家が、今も残ってるのは凄いね。
西郷隆盛蘇生の家の逸話
花倉浜から運ばれる
そして坂下宅の雨戸に乗せられ、同宅に運び込まれました。
蘇生処置
藩吏の阪口周右衛門は西郷を、平野国臣と下僕の重助は月照を介抱しました。
懸命な介抱が実り、西郷は意識を取り戻します。
しかし月照は反応せず、最後の手段として鼻下に灸を据えましたが、効きませんでした。
帰宅
その日の夕方、西郷は上之園の自宅に駕籠で戻り、療養生活を送りました。
その後、どうなったの?
薩摩藩は、2人は亡くなったと捕吏に伝えます。
西郷に関しては偽墓まで用意しましたが、捕吏は検死をせず、引き返しました。
月照は、南林寺の西郷家墓域に葬られ、現在は南洲寺に眠っています。
西郷隆盛蘇生の家のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市吉野町97771 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 駐車スペースあり |
アクセス | 鹿児島空港から車で35分 |
鹿児島中央駅から車で20分 | |
花倉バス停から下車すぐ |
西郷隆盛蘇生の家の地図
西郷隆盛蘇生の家の総評
また、夏場にマムシがいる場合があります。
しかし草払いされていれば、おおむね大丈夫です。
ちなみに、上の話には続きがあります。
月照の下僕・重助は捕吏に捕らえられ、半年間の獄中生活を送りました。
その後、京の清水寺に茶屋を開業し、同寺の月照の墓を守護。
その茶屋は忠僕茶屋として、現在も営業しています。
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