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西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

 

西郷隆盛洞窟って、西郷さんと関係あるの?

 

はい。

明治10年(1877年)、西南戦争の終盤に過ごしました。

 

 

西郷隆盛洞窟は、鹿児島市城山町にあります。

 

この記事では、洞窟の概要と逸話を紹介します。

 

 

西郷隆盛洞窟の概要

出入口

出入口

出入口

 

洞窟は、城山の市道沿いにあります。

出入口は、2ヶ所。

どちらも階段があるため、車椅子利用者は介助が必要です。

 

早くバリアフリーに対応して欲しいね~。

 

 

洞窟

洞窟

洞窟

 

出入口を抜けると、すぐ洞窟が見えてきます。

 

西郷さんは、ここで過ごしたのか~。

 

 

城山の土壌は、軟らかいシラス(火山灰)

 

ここを含む9つの洞窟を周辺に掘り、6日間滞在しました。

 

 

洞窟

洞窟

 

あれ?

これって洞窟?

奥の方が見えないんだけど......?

 

実は西南戦争後、中が崩落しました。

シラスは軟らかく堀りやすい代わりに、崩れやすい性質を併せ持っています。

 

 

西郷隆盛洞窟の逸話

新しい着物と帯

西郷南洲野屋敷跡

西郷南洲野屋敷跡

 

西郷は洞窟で滞在中、従僕の熊吉から新しい着物と帯を受け取りました。

差出人は、西別府の屋敷に避難中だった妻の糸。

最後の晴れ姿として、糸に出来る精一杯の見送りでした。

 

糸は、どういう気持ちだったんだろうね.......。

 

 

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西郷助命

 

いよいよ西郷軍の命運が尽きる寸前、せめて西郷の命だけでも助けようとの意見が、幹部を中心に上がります。

そこで、9月23日に河野主一郎と山野田一輔が西郷に任務を明かさないまま、参軍・川村純義との面会に赴きました。

 

西郷さんに内緒で、助命活動したんだね。

それで、どうなったの?

 

 

会談は不調に終わり、河野は拘束されて捕虜となります。

 

山野田は洞窟に戻り、川村の最後通告を西郷に伝えました。

 

「明朝、総攻撃する。1人軍門に下り、天皇の大命を待て。午後5時までに返事せよ。」

 

 

西郷隆盛肖像画

西郷隆盛肖像画

 

しかし、西郷は

「返事の要なし」

と、答えます。

ここに、西郷助命の道は絶たれました。

 

自分のために死んだ若者が沢山いたから、投降する選択肢はなかったろうね。

 

 

また、山野田は自決を勧める参軍・山県有朋の書簡も渡しました。

 

西郷は一読後に懐に入れ、翌朝の総攻撃を迎えることにしました。

 

 

別れの宴~総攻撃

 

その夜の洞窟前では、にぎやかな別れの宴が催されました。

そして、翌9月24日の午前4時、官軍の総攻撃が始まりました。

 

ついに、その時が来てしまったんだね......!

 

 

そして午前6時頃、

  • 西郷
  • 桐野利秋
  • 村田新八
  • 別府晋介

など、幹部を含む約40名が洞窟前に集合。

 

最後の決戦に挑むために西郷を駕籠に乗せ、大保塁のある岩崎口に下って行きました。

 

 

西郷隆盛洞窟のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市城山町19
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
西郷洞窟前から下車すぐ
カゴシマシティビュー
西郷洞窟前から下車すぐ

 

 

西郷隆盛洞窟の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷隆盛洞窟の総評

 

逸話を聞くと、西郷さんに悲壮感はないね。

 

月照との入水で、一度死地の旅に出掛けたことがあります。

その経験から、あまり死を恐れなくなったのかもしれませんね。

 

 

ちなみに洞窟前に、観光バスの停留所があります。

 

時間がない場合は降車せず、車窓から見学するのもおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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