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尚古集成館

尚古集成館

尚古集成館

 

尚古集成館って、なーに?

 

もともとは、慶応元年(1865年)に建立された機械工場でした。

現在は、島津家の歴史や文化、集成館事業を語り継ぐ博物館として、活用されています。

 

 

尚古集成館は、鹿児島市吉野町にあります。

 

館内撮影禁止のため、この記事では外観と歴史を紹介します。

 

 

尚古集成館の外観

玄関

玄関

玄関

 

まずは、尚古集成館の玄関から紹介します。

建造当初はなく、大正9年(1920年)の改装で設置されました。

 

屋根は、玄関も含めて全て瓦葺なんだね。

不思議な建物だな~。

 

 

外壁

外壁

外壁

溶結凝灰岩

 

外壁の石材には、溶凝凝灰岩が使われました。

鹿児島市の小野で採れたので、〈小野石〉と呼ばれています。

 

ノミで削った跡が残ってる!

当時の職人の息吹だね。

 

 

窓

 

窓とガラスも、大正9年(1920年)の改装で、取り付けられました。

なお、西欧窓のアーチは、小さなレンガで形造るのが一般的。

ですが、尚古集成館の窓のアーチは、大きな石で造られています。

 

本当だ!

 

 

亀腹

亀腹

亀腹

 

外壁や窓の下に目をやると、丸みを帯びた石が並んでいます。

これは、寺社建築で使われる〈亀腹〉と呼ばれる土台で、水はけを良くするために設けられました。

 

尚古集成館は、和洋折衷の建物なんだね。

 

 

尚古集成館の歴史

建設・操業開始

島津忠義公之像

島津忠義公之像

 

元治元年(1864年)、29代・島津忠義の命により、尚古集成館の前身にあたる、機械工場の建設が始まりました。

慶応元年(1865)年には、操業が開始。

動力源には、蒸気機関が利用されました。

そして、集成館事業の工場で使われた機械の整備・修復や、船の部品製造が行われました。

 

へ~っ!

 

 

機械工場は、建造当初からストンホームと呼ばれていました。

 

そのため、イギリス人が建設に関わったとも言われています。

 

しかし、建築方法などに混乱が見られることから、長崎製鉄所や西洋の文献をもとに、日本人が試行錯誤の末に造ったことが分かっています。

 

また、当時使われていたオランダ製の形削盤が、現在の尚古集成館に展示されています。

 

 

 

 

操業停止・博物館・世界遺産

看板

看板

 

明治維新以降、機械工場は政府所有となりました。

のちに島津家が再所有するも、大正4年(1915年)に工場としての役割を終えます。

そして、改装して博物館にすることが決まりました。

 

玄関や窓は、その改装で設けられたんだね。

 

 

大正12年(1923年)、30代・島津忠重によって、尚古集成館が開館しました。

 

〈尚古〉には、

 

「古(いにしえ)の精神を尚(とうと)び模範する」

 

という意味が込められています。

 

さらに平成27年(2015年)、明治日本の産業革命遺産として、世界遺産に登録されました。

 

 

尚古集成館のアクセス・駐車場・料金

営業時間 午前8時30分~午後5時30分
休館日 年中無休
場所 鹿児島市吉野町9698-1
料金 大人・高校生以上1,000円
仙巌園と共通
小中学生500円
仙巌園と共通
駐車場 1日300円
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で20分
まち巡りバス
仙巌園前から徒歩1分
カゴシマシティビュー
仙巌園前から徒歩1分
電話 099-247-1511
HP 尚古集成館

 

 

尚古集成館の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

尚古集成館の総評

尚古集成館別館

尚古集成館別館

 

尚古集成館の収蔵庫は、気温や湿度の変動幅が大きく、資料の保管に向いていませんでした。

そこで平成元年(1989年)、隣に別館が建てられ、適正な温度と湿度で保存されるようになりました。

 

良かったね!

 

 

ちなみに、尚古集成館の展示は、ほぼ固定されています。

 

しかし、別館では企画展が催され、普段は鑑賞出来ない珍しい品が展示されます。

 

こちらにも足を運ぶと良いでしょう。

 

 

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監修:仙巌園

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