明治6年(1873年)、鹿児島に下野した桐野利秋は、吉田で開墾と農作業に励みました。
桐野利秋田蘆跡は、鹿児島市本城町にあります。
この記事では、田蘆跡の概要や逸話を紹介します。
桐野利秋田蘆跡の概要
出入口
出入口に立っている標識が目印です。
駐車スペース
田蘆跡に向かう途中、道幅が狭くなるため、車でお越しの方はこちらに停めるのが無難です。
通路
途中、解説板がありますよ。
田蘆跡に行くには、右手へお進み下さい。
字がかすれてしまって、少し読みにくいです。
ここから、さらに100mほど歩きます。
車では通れないので、先ほど案内したとおり、駐車スペースに停めて下さいね。
開墾地と石碑は、こちらです。
開墾地跡
石碑
石碑には、ここでの桐野の生活が刻まれています。
訪れる人は少ないですが、地元住民に守られてる貴重なスポットです。
桐野利秋田蘆跡の逸話
落人をかくまう
乱の首謀者・江藤新平は、腹心の石井竹之助と徳久幸次郎を伴い、鹿児島の西郷隆盛に決起を促しました。
西郷は首を縦に振らず、江藤は再起を賭けて高知に出発。
桐野は開墾地宅に石井と徳久を匿い、追ってきた捕吏を叱り付けて追い払いました。
のちに2人は、西南戦争に従軍。
桐野ともども戦死しました。
桐野利秋田蘆跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市本城町2233 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 駐車スペースあり |
アクセス | 鹿児島空港から車で30分 |
鹿児島中央駅から車で35分 | |
あいばす 宇都谷上バス停から徒歩5分 |
桐野利秋田蘆跡の地図
桐野利秋田蘆跡の総評
「農耕に励む桐野は元気で、青年をしのいだ」
と刻まれています。
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