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吉井友実誕生地

吉井友実誕生地

吉井友実誕生地

 

吉井友実って、だ~れ?

 

西郷隆盛や大久保利通の盟友です。

2人ほどの知名度はありませんが、幕末の薩摩藩や明治政府を支えました。

 

 

吉井友実誕生地は、鹿児島市加治屋町にあります。

 

この記事では、吉井の人生を簡単に紹介します。

 

 

吉井友実の人生

誕生

 

文政11年(1828年)、吉井は薩摩藩の下級藩士、吉井友昌の長男として生まれました。

 

ふむふむ。

 

 

1つ年上の西郷とは、同じ郷中(ごうちゅう)で家も近所。

 

2人は、幼馴染として育ちました。

 

 

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精忠組結成

 

安政5年(1858年)、安政の大獄で追われた西郷と月照が、入水自殺を図ります。

吉井は助かった西郷を看病。

のちに奄美で潜居中の西郷と、盛んに連絡をとりました。

 

西郷さんは、吉井から色んな情報を得たんだね。

 

 

 

 

 

安政6年(1859年)、吉井は大久保たち約40名と脱藩義挙を計画。

安政の大獄を進める幕府に対抗するため、挙兵を企てていました。

 

よほど腹に据えかねていたんだろうね。

 

 

しかし藩主・島津忠義から、

 

「自分を助けるために忠誠を尽くして欲しい」

 

との論達書が届いたため、計画を中止しました。

 

 

一同は奄美に潜居中の西郷の名を筆頭に、誓約書を提出。

 

この有志集団は、のちに精忠組と呼ばれました。

 

 

出世

 

その忠義の父で薩摩藩の実力者だったのが、島津久光です。

久光は門閥政治を打破して権力を集中させるため、精忠組一派を藩政に取り込みました。

 

精忠組からすれば意見も通るし、互いにメリットがあったんだね。

 

 

こうして精忠組から吉井が大目付役に、大久保が御小納戸役に就任。

 

のちに吉井は京都留守居役も務め、第一次長州征伐回避や薩長同盟、四侯会議の実現に尽力しました。

 

 

新政府出仕

 

明治政府樹立後は、宮内大丞として明治天皇を養育。

日本鉄道会社社長や枢密顧問官も務め、伯爵に叙せられました。

 

新政府でも出世したんだね!

 

 

死去

 

明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布に伴う恩赦で西郷の罪が許され、正三位が追贈されます。

 

西郷さんは明治10年(1877年)の西南戦争で、逆賊になったんだよね。

 

 

その2年後の明治24年(1891年)、吉井が発起人となり、西郷の銅像建設が計画されました。

 

しかし同年、吉井は完成を見ることなく、64歳で亡くなりました。

 

 

吉井友実誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市加治屋町5
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩10分
まち巡りバス
維新ふるさと館前から徒歩1分
カゴシマシティビュー
維新ふるさと館前から徒歩3分

 

 

吉井友実誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

吉井友実誕生地の総評

 

吉井って、実はもっと知られていもいい人物なんじゃ?

 

そうですね。

坂本龍馬と一番仲の良かった薩摩藩士であり、龍馬夫妻の新婚旅行にも同行しました。

 

 

ちなみに加治屋町とは別の吉井の家に、龍馬夫妻が滞在しました。

 

そちらにも、石碑が建って欲しいですね。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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