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桐野利秋誕生地は、鹿児島市の吉野町にあります。
この記事では、誕生地の概要や、当時の逸話を紹介します。
桐野利秋誕生地の概要
出入口
出入口は階段になっていますが、徒歩30秒で着きます。
誕生地は現在、実方(さねかた)公園という小さな広場になっています。
石碑
西南戦争を指揮したのに、贈正五位?
明治4年(1871年)7月28日、桐野は陸軍少将に任官され、同日に従五位に叙せられました。
しかし、明治10年(1877年)の西南戦争で、剥奪されます。
大正5年(1916年)4月、正五位が追贈され、同年9月、石碑が建立されました。
桐野利秋誕生地での逸話
貧しい生活
中村家の家格は、城下士として下から2番目、の御小姓与(ごしょうよ)。
しかし少年時代、父の与右衛門が徳之島へ流刑となり、家禄を失いました。
また、兄も病死したため
- 農業
- 開墾
- 紙すき
などで、家計を支えました。
山下孫兵衛の施し
助ける人はいなかったの?
主食がカライモの中村家にとって、歳末に餅を備えることは難しい事でした。
これを山下孫兵衛が憐れみ、餅米を贈った逸話が残っています。
明治6年(1873年)に下野した際は、この孫兵衛を頼り、吉田町で開墾に従事しました。
野太刀(薬丸)自顕流の稽古
幼少の頃から、野太刀(薬丸)自顕流の立ち木打ちに徹し、自宅や近所の庭木に1日8000回打ち込み、すべて枯らせるほど練習に励みました。
その甲斐もあって、軒先から1滴の雨だれが地面に落ちる間に、3度抜刀して3度鞘に収められるほどの腕前になりました。
のちに薬丸兼義の門弟となり、京都で西郷隆盛の警護に従事しました。
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アクセスなど桐野利秋誕生地の基本情報
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市吉野町389 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島中央駅から車で20分 |
美方(さねかた)神社バス停から徒歩3分 |
桐野利秋誕生地の地図
桐野利秋誕生地の総評
「このような木を、すべて枯らせたのか」
と、感慨に浸れます。
文久2年(1862年)、島津久光に従って、桐野は上洛します。
これを機に京都政界で活躍し、その名が知られることになりました。
誕生地を訪れ、当時の桐野の気持ちに思いを巡らせるのもいいですよ。
また、周辺には
- 関吉の疎水溝
- 別府晋介誕生地
- 駄馬落の跡
- 川口雪篷の墓
などの観光スポットがあります。
こちらにも、是非どうぞ。
中村半次郎=桐野利秋 生誕の地☆
立木打ちで庭の木を枯らすほど武芸の鍛錬をしたという半次郎。
久光が上洛する際に一団に加わろうと、サツマイモを手に西郷のもとへ頼みに行った逸話もあります☆3枚目は南洲墓地にあるお墓。#西郷どん #鹿児島 pic.twitter.com/hCZ29E4m26
— 小栗さくら@歴史タレント (@oguri_sakura) 2018年1月21日