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西郷吉二郎の墓

投稿日:2018年4月28日 更新日:

読了予測:5分

西郷家の墓にある西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

吉二郎って、たしか西郷隆盛の弟だった人物だよね。

 

ですです~。

生涯、西郷家を支え続けました。

 

西郷吉二郎の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、西郷吉二郎の生涯を紹介します。

 

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西郷吉二郎の生涯

誕生

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛誕生地

天保3年(1833年)、吉二郎は、鹿児島城下の加治屋町で生まれました。

父は吉兵衛、母は満佐。

長男の隆盛より6才下で、三男の従道より10才上でした。

たしか西郷家は、多い時で11人もいたんだよね。

 

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貧乏な暮らし

西郷南洲野屋敷跡

西郷南洲野屋敷跡

暮らしは楽ではなく、傘の竹骨削りで家計を支えました。

また、畑を開墾し、

  • サトイモ
  • サツマイモ

を作りました。

 

当時、機械がないから、開墾は大変だったろうねえ。

 

 

西郷家を守る

父母の逝去と隆盛の出府後は、姉の琴と共に西郷家を支えました。

隆盛が出府を決断したのは、吉二郎の出仕(就職)が大きな要因でした。

 

隆盛は、貧しい一家を置いて出府するのに、ためらったはずだよね。

吉二郎は、兄の背中を押して上げたのかもね。

 

隆盛は後年、

「自分が今あるのは、吉二郎のおかげ」

と言い、他人には

「自分の兄です」

と、紹介するほど信頼していました。

 

 

マスとの結婚

西郷家の墓にある西郷マスの墓

西郷マスの墓

正確な年月は不明ですが、吉二郎はマスと結婚し、上之園の自宅で暮らしました。

  1. 長女・みつ
  2. 長男・隆準

の子宝に恵まれ、最も幸せな時を送っていました。

 

この時代の、人並みの幸せを手にしたんだね。

 

しかし、慶応元年(1865年)にマスが病死します。

 

みつ2才、隆準1才の時でした。

 

マスの墓は、吉二郎墓の隣にあります。

 

 

園子との再婚

西郷家の墓にある西郷園子の墓

西郷園子の墓

マスが亡くなった2年後の慶応3年(1867年)、吉二郎は、園子と再婚しました。

 

この時代、死別後すぐの再婚は、普通だったのかもね~。

 

しかし、時代は風雲急を告げていました。

 

園子との結婚から9ヶ月後、島津忠義の卒兵上京に随行し、そのまま戊辰戦争に従軍しました。

 

戦死

西郷家の墓にある西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

慶応4年(1868年)5月、吉二郎は北越戦線に出陣します。

しかし腰に銃弾を受け、同年8月14日、36才で亡くなりました。

 

この時代、若い人が次々と亡くなったんだよねえ......。

 

遺骨は、新潟の金谷山に葬られました。

 

再婚期間は、わずか1年半。

 

しかし園子は、吉二郎とマスの遺児2人を育て上げました。

 

参考HP

 

西郷吉二郎の墓の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市常盤2丁目2-14
【料】 無料
【駐】 なし
【交】 鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

西郷吉二郎の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

西郷吉二郎の墓の総評

遺骨は金谷山に葬られましたが、遺髪は西郷家の墓に納められました。

 

ということは、これは遺髪墓なんだね。

 

なお、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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