鹿児島市西部

西郷吉二郎の墓

投稿日:2018年7月17日 更新日:

西郷家の墓にある西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎って、たしか西郷隆盛の弟だった人物だよね。

 

ですです~。

生涯に渡り、西郷家を支え続けました。

 

 

西郷吉二郎の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。

 

この記事では、吉二郎の人生を簡単に紹介します。

 

 

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西郷吉二郎の生涯

誕生

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛誕生地

天保3年(1833年)、吉二郎は鹿児島城下の加治屋町で生まれました。

父は吉兵衛で、母は満佐

長男の隆盛より6才下で、三男の従道より10才上でした。

 

たしか西郷家は、多い時で11人もいたんだよね。

 

 

 

 

貧乏な暮らし

西郷南洲野屋敷跡

西郷南洲野屋敷跡

暮らし向きは楽ではなく、吉二郎は傘の竹骨削りで家計を支えました。

また、畑を開墾してサツマイモやサトイモ、麦などを作りました。

 

当時は機械がないから、開墾は大変だったろうね。

 

 

 

 

西郷家を守る

父母の逝去と隆盛の出府後は、姉のと西郷家を支えました。

安政元年(1854年)に隆盛が出府を決断したのは、吉二郎の出仕(就職)が大きな要因でした。

 

隆盛は貧しい家族を置いて出府するのに、ためらったはずだよね。

もしかいて吉二郎は、背中を押して上げたのかもね。

 

 

隆盛は後年、

 

「自分が今あるのは、吉二郎のおかげ」

 

と言い、他人には、

 

「自分の兄です」

 

と、紹介するほど信頼していました。

 

 

 

 

マスとの結婚

西郷家の墓にある西郷マスの墓

西郷マスの墓

正確な年月は不明ですが、吉二郎マスと結婚し、上之園の自宅で暮らします。

2人の子宝に恵まれ、最も幸せな時間を送っていました。

 

この時代の人並みの幸せを、吉二郎は手にしたんだね。

 

 

しかし慶応元年(1865年)、マスが病死。

 

長女・みつ2才、長男・隆準1才の時でした。

 

マスの墓は、吉二郎墓の隣にあります。

 

 

 

 

園との再婚

西郷園の墓

西郷園の墓

マスが亡くなって2年後の慶応3年(1867年)、吉二郎と再婚しました。

 

この時代、死別後すぐの再婚は普通だったのかもね。

 

 

しかし時代は、風雲急を告げていました。

 

園との結婚から半年後、29代・島津忠義の卒兵上京に随行し、そのまま戊辰戦争に従軍しました。

 

 

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戦死

西郷家の墓にある西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

慶応4年(1868年)5月、吉二郎は北越戦線に出陣。

しかし腰に銃弾を受け、同年8月に36才で亡くなりました。

 

この時代、若い人が次々と亡くなったんだよね......。

 

 

再婚期間は、わずか1年半。

 

しかしは、吉二郎とマスの遺児2人を育て上げました。

 

 

西郷吉二郎の墓の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市常盤2丁目2-14
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

 

なお、西郷吉二郎の墓へのアクセスは、ナビタイムを使うとスムーズです。

 

 

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NAVITIME

 

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西郷吉二郎の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷吉二郎の墓の総評

遺骨は新潟の金谷山に葬られ、遺髪は西郷家の墓に納められました。

 

ということは、この墓は遺髪墓なんだね。

 

 

また周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

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