西郷吉兵衛の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。
この記事では、吉兵衛の人生を簡単に紹介します。
西郷吉兵衛の人生
誕生
吉兵衛には、弟の小兵衛がいました。
小兵衛は大山家の養子となり、大山綱昌と名乗ります。
その綱昌の次男が、のちの陸軍大将・大山巌です。
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大家族
家族は、最大11人。
しかし、家禄は47石(約282万円)。
そのため、日置島津家と赤山家の会計係を副業的に務めます。
この縁で隆盛は桂久武と仲良くなり、赤山靭負を実の兄のように慕いました。
お由羅騒動
赤山を介錯したのは、一般的に吉兵衛と言われています。
しかし実際は、撃剣家の加藤新平が務めました。
吉兵衛は、赤山の遺体の後処理をし、血染めの肌着を隆盛に渡しました。
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死去
さらに同年、後を追うように妻・満佐も亡くなります。
嘉永5年(1852年)は、西郷家にとって悲しい年となりました。
西郷吉兵衛の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市常盤2丁目2-14 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
鹿児島中央駅から徒歩20分 | |
花岡通バス停から徒歩5分 |
西郷吉兵衛の墓の地図
西郷吉兵衛の墓の総評
西郷家では、吉兵衛の名が長い間受け継がれていました。
そのため、同名の御先祖の墓が複数あります。
しかし西郷家の墓には、どのお墓が誰のものが、案内板がないのです。
墓の前面に『自覚院』と彫られているのが、吉兵衛のお墓です。
よーく探せば、1分以内に見つかるはず。
妻・満佐の墓の隣です。
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