小松帯刀原良別邸跡って、なーに?
薩摩藩家老・小松帯刀が、原良(はらら)に所有していた別邸の跡地です。
幕末、あの坂本龍馬が泊まったことがあるんですよ。
小松帯刀原良別邸跡は、鹿児島市原良4丁目にあります。
この記事では、小松帯刀原良別邸の概要や、逸話を紹介します。
小松帯刀原良別邸跡の概要
出入口
別邸跡は、住宅地奥にあります。
まずは、出入口にある城西歯科を見つけて下さい。
周辺に、別邸跡を指す看板が立っています。
看板があると、分かりやすいね。
石垣
出入口から約150m進むと、約100mの石垣が見えてきます。
これが、当時を偲ぶ唯一の遺構です。
当時の石垣が、そのまま残ってるんだね。
石垣の左側に、ちょっとした坂道があります。
こちらを登ってみましょう。
え?
奥に進んでいいの?
中庭と臥竜梅
坂を少し上がると、別邸跡の中庭を望めます。
樹齢300年の臥竜梅もありますよ。
小松や龍馬も、この臥竜梅を見たんだね!
なお現在は所有者がおり、れっきとした私有地です。
中庭には、決して無断で立ち入らないで下さい。
石碑
中庭の手前に、石碑が建っています。
少し読みにくいですが、『小松帯刀○○跡入口』と、刻まれています。
これも記念に写真を撮ろっと!
小松帯刀原良別邸跡の逸話
龍馬夫妻の滞在
慶応2年(1866年)、龍馬は京の寺田屋で捕吏に襲われ、負傷します。
その後、療養のために妻・お龍と来薩。
城下の小松屋敷や、ここ原良別邸にも滞在しました。
なるほど。
小松が龍馬を匿ったんだね。
龍馬夫妻は別邸に数日滞在後、吉井友実親子と霧島に向かいます。
そして、高千穂峰登山やピストル猟、湯治など、人生で一番の幸せを満喫。
これが日本初の新婚旅行と言われています。
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坂本龍馬暗殺未遂事件
なお、霧島から戻ってきた後、
「大藤太郎と名乗る男が訪ねてきて、龍馬の命を狙った」
と、お龍が明治時代に証言しています。
この暗殺未遂事件を機に、2人は上町(かんまち)の一軒家に移りました。
そんなことがあったんだ!
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小松帯刀原良別邸跡のアクセス・駐車場・料金
| 営業時間 | 自由 |
| 場所 | 鹿児島市原良4丁目16 |
| 料金 | 無料 |
| 駐車場 | なし |
| アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
| 鹿児島中央駅から車で10分 | |
| かけごしバス停から徒歩5分 |
小松帯刀原良別邸跡の地図
小松帯刀原良別邸跡の総評
龍馬夫妻の鹿児島城下滞在地と言えば、ここです。
小松ファンだけでなく、龍馬ファンにも訪れて欲しいね。





