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草牟田墓地

草牟田墓地

草牟田墓地

 

草牟田墓地には、誰のお墓があるの?

 

示現流の創始者、東郷重位などの墓があります。

 

 

草牟田墓地は、鹿児島市草牟田1丁目にあります。

 

この記事では、歴史上の人物の墓を紹介します。

 

 

草牟田墓地の概要

駐車場

駐車場

駐車場

 

草牟田墓地を巡るには、駐車場からスタートすると良いでしょう。

 

草牟田墓地は、谷の中にあるんだね。

 

 

案内図

案内図

案内図

 

なお、駐車場右側の市道に、草牟田墓地の案内図があります。

これから紹介する墓石や石碑の位置は、これを元にしています。

 

最初にデジカメで撮れば、あとが楽だね。

 

 

陸軍火薬庫跡

陸軍火薬庫跡

陸軍火薬庫跡

 

最初に紹介するのは、駐車場の右側にある、陸軍火薬庫跡の石碑です。

明治10年(1877年)、私学校の生徒が草牟田の武器弾薬を強奪し、西南戦争が勃発しました。

 

いわくつきのスポットなんだね。

 

 

陸軍火薬庫跡

陸軍火薬庫跡

 

なお、1等6号特設に、もう1つの石碑があります。

本来の陸軍火薬庫の跡地は、この石碑後方周辺と言われています。

 

石碑は、2つあるんだね。

 

 

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村田新八の墓

村田新八の墓

村田新八の墓

村田新八の墓

村田新八の墓

 

西郷隆盛の側近として、西南戦争で戦死した村田新八。

遺骨は、南洲墓地に納められました。

ここ草牟田墓地の2等3号に、村田家子孫の墓があり、新八の名も刻まれています。

 

ホントだ!

 

 

 

 

東郷重位の墓

東郷重位の墓

東郷重位の墓

 

2等5号にあるのが、東郷重位の墓。

東郷は、薩摩藩の御流儀であった示現流を興しました。

示現流は、約400年間も受け継がれているんですよ。

 

400年も!

 

 

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益満休之助の墓

益満休之助の墓

益満休之助の墓

 

最後の紹介するのが、旧墓地にある益満休之助の遺髪墓です。

幕末、益満は江戸の撹乱工作を実行。

これにより旧幕府は討薩表を掲げ、戊辰戦争が勃発します。

そして旧幕府は敗北し、完全な崩壊に至りました。

 

大それたことをやった人物なんだね。

 

 

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草牟田墓地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市草牟田1丁目9-19
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で30分
鹿児島中央駅から車で10分
草牟田バス停から徒歩3分
電話 099-227-1167

 

 

草牟田墓地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

草牟田墓地の総評

 

墓地だけど、隠れた観光スポットなんだね。

 

表面上は、普通の墓地です。

紹介した人物の案内板もありません。

この記事を参考に、お訪ね下さい。

 

 

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