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川口雪篷の墓

投稿日:2018年6月13日 更新日:

読了予測:9分

川口雪篷の墓

川口雪篷の墓

川口雪篷(せっぽう)って、どんな人だったの?

 

西郷家に居候した書家で、西郷家の子息の教育を施しました。

 

川口雪篷の墓は、鹿児島市坂元町の坂元墓地にあります。

 

この記事では、墓の概要や、雪篷の人生を紹介します。

 

川口雪篷の墓の概要

出入口

川口雪篷の墓の出入口

出入口

坂元墓地は広く、墓の案内板もありません。

そのため、これから説明する目印を頼りに、お参り下さい。

 

全然知らない僕でも、行けるかな~?

 

坂元墓地に到着後、まずは写真右奥の上之園花屋をお探し下さい。

 

花屋近くに、玉泉院の電柱広告があります。

 

ここが、雪篷の墓の出入口です。

 

通路

川口雪篷の墓までの通路

通路①

電柱広告から墓地に入ると、すぐに階段が見えます。

こちらを、お上り下さい。

 

車椅子の方は、介助者が必要だね

 

川口雪篷の墓までの通路

通路②

階段を上って真っ直ぐ進むと、突き当たりの三叉路に、水道の蛇口があります。

ここを左に曲がります。

 

ほいほーい。

 

墓石

川口雪篷の墓

墓石

左に曲がって直進すると、右手に〈中川家之墓〉があります。

 

あっ!

この右側にある古い墓が、もしかして!

 

川口雪篷の墓

川口雪篷の墓

はい。

こちらが、川口雪篷の墓になります。

 

出入口から、3分以内で行けた!

思ったより、近かったね。

 

川口雪篷の人生

流島

島津久光肖像写真

島津久光肖像写真

雪篷は種子島出身で、陽明学を修め、書道も相当の腕を持っていました。

そのため、学問好きの島津久光に召され、写学生として仕えていました。

 

へーっ!

 

ところが、久光の書物を質に入れ、酒代に変えていた事が発覚。

 

この罪で、雪篷は沖永良部島に流されました。

 

西郷との出会い

西郷隆盛肖像画

西郷隆盛肖像画

流人生活を送っていた頃、同じく久光の怒りを買った西郷隆盛が、沖永良部島に流されて来ました。

雪篷は西郷に興味を持ち、やがて2人は交流を始めました。

 

久光に怒られた者同士、気が合ったのかな(笑)

 

雪篷は、10才下の西郷に書を教え、書風に大きな影響を与えました。

 

また、2人は

 

  • 陽明学
  • 朱子学
  • 古今東西の歴史

 

についても、熱く議論。

 

西郷は、このような島暮らしの中で、敬天愛人の思想を確立していきました。

 

居候

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

元治元年(1864年)2月、西郷は罪を赦され、一足先に鹿児島に戻りました。

雪篷も、慶応元年(1865年)の頃に赦免。

城下に戻り、その後、西郷家の居候になりました。

 

「ちょっと頼むわ~」みたいな感じで居候したの?(笑)

 

実は、雪篷と西郷は、先に鹿児島に戻った方が、後から戻ってきた方を養う、という約束を交わしていました。

 

居候後は、西郷家の子供達を養育。

 

先生として、漢詩や書を教えました。

 

 

西南戦争

西郷南洲野屋敷跡

西郷南洲野屋敷跡

明治10年(1877年)の西南戦争時、雪篷は、西郷の妻・糸たちと西別府に避難します。

ここでも子供達を厳しく教育し、学問を教えました。

 

立派に育てようと、人一倍の責任感を持ってたのかもね。

 

 

戦後

西郷武屋敷跡

西郷武屋敷跡

戦後の雪篷は、西郷従道によって再建された武屋敷に居住。

ここでも、子供達への教育を続けました。

また、西郷の書を模して売り、家計を支えました。

 

当時の西郷家は、相当貧しかったろうね~。

 

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戦没者墓銘揮毫

南洲墓地にある西郷隆盛の墓

西郷隆盛の墓

戦争終結から数年後、西郷が仮埋葬された旧浄光明寺の敷地が、新たに整備される事になりました。

それが、現在の南洲墓地です。

 

ふむふむ。

 

雪篷は、西郷をはじめ

 

  • 村田新八
  • 大山綱良
  • 篠原国幹
  • 西郷小兵衛

 

などの墓銘を揮毫。

 

この書を元に、各人の墓石が彫られました。

 

 

死去

川口雪篷の墓

川口雪篷の墓

西郷は戦争前、挙兵を理由に官位を剥奪されていました。

しかし、明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布に伴う大赦で赦され、正三位が追贈されました。

 

西郷の賊名が晴れて、雪篷も喜んだんじゃないかな。

 

西郷の名誉回復を見届けた翌明治23年(1890年)7月2日、雪篷は武屋敷で亡くなりました。

 

享年73才。

 

墓には、〈川口雪篷香雲之墓〉と、彫られています

 

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川口雪篷の墓の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市坂元町19
【料】 無料
【駐】 駐車スペースあり
【交】    鹿児島中央駅から車で15分
バス停から徒歩5分

 

川口雪篷の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

川口雪篷の墓の総評

実は、雪篷の遺骨は、昭和45年(1970年)、川口家によって東京に移されました。

そのため、墓石のみ残っている状態です。

 

それでも、雪篷が長い間眠っていた場所だし、ゆかりの地に間違いないから、気軽にお参りしていいと思うよ。

 

ちなみに、雪篷の墓の出入口周辺に、駐車禁止の標識はありません。

 

車で来られた方も、安心してお参りできます。

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

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