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松原神社(旧南林寺)

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松原神社の拝殿

拝殿

拝殿を見る限り、普通の神社だね。

 

江戸時代には、この敷地に南林寺がありました。

 

松原神社(旧南林寺)は、鹿児島市の松原町にあります。

 

この記事では、松原神社の概要と逸話を紹介します。

 

松原神社(旧南林寺)の概要

出入口

松原神社の出入口

出入口

神社の出入口なのに、鳥居がない!

 

うーん、何ででしょう(笑)

 

なぜかは分かりませんが、松原神社の出入口に、鳥居はありません。

 

出入りは、自由です。

 

奥之院灯籠一対

松原神社の奥之院灯籠一対

奥之院灯籠一対

こちらは、大久保利通が寄進した石灯籠です。

 

なんで、大久保利通が?

 

嘉永3年(1850年)4月、大久保利通の父である次右衛門が、お由羅騒動で座敷牢に入れられます。

 

大久保は処分が軽くなるよう、南林寺に祈願しました。

 

 

大久保利通の写真

大久保利通

次右衛門が喜界島に流された後は、毎朝参拝し、無事を祈りました。

 

毎朝!

 

その甲斐もあり、安政元年(1854年)7月に罪を赦され、安政2年(1855年)2月、鹿児島に戻ってきました。

 

奥之院灯籠一対は、その時の感謝として、明治2年(1869年)に寄進されたものです。

 

また、文久2年(1862年)9月には、文久の改革を達成した喜びで、南林寺にお礼詣りしています。

 

南林寺は、大久保にとって真の信仰の対象でした。

 

斉彬公鬢塚

こちらは、島津斉彬の遺髪塚です。

 

なんで、ここに?

 

島津斉彬は亡くなる前、亡骸を福昌寺に、遺髪を南林寺に納めるよう遺言しました。

 

そのため、ここ松原神社に遺髪塚が残されています。

 

薩摩藩家老の小松帯刀は、この遺髪塚に熱心に通いました。

 

鳥居

鳥居を見て、何か気付きませんか?

 

島津家家紋の丸十がある!

 

弘浩2年(1556年)、南林寺は島津貴久によって創建されました。

 

貴久は、自身の肖像画を納め、菩提寺とします。

 

明治2年(1869年)、廃仏毀釈で廃寺となるも、同年に松原神社が創建。

 

南林寺と同じく貴久が祀られたので、鳥居に丸十があります。

 

松原神社(旧南林寺)の逸話

鶴丸城の移転のくじ引き

鶴丸城の堀

鶴丸城の堀

実は薩英戦争前、島津家の居城である鶴丸城を移転するか否か、南林寺でくじ取りが行われました。

 

そんな大事な事を、くじで決めていいの?(笑)

 

文久3年(1863年)の薩英戦争前、鶴丸城から国分への移城が決まります。

 

鶴丸城は海と近く、イギリス艦隊の砲弾が飛んでくる可能性がありました。

 

しかし、臆病という批判が湧いたため、不平不満を沈めるために、南林寺でくじ取りをしました。

 

どんだけ猛々しいんだ、薩摩隼人は(笑)

 

その結果、移城は良くないという結果が出ました。

 

仮に移城していたら、鹿児島市の今の姿はなかったでしょうね。

 

営業時間・アクセス・料金など松原神社(旧南林寺)の基本情報

  • 営業時間 / 自由
  • 場所 / 鹿児島市松原町3-35
  • 料金 / 無料
  • 駐車場 / 30分100円
  • アクセス① / 鹿児島中央駅より車で5分
  • アクセス② / せごどん大河ドラマ館前バス停(まち巡りバス)より徒歩10分
  • アクセス③ / 西郷どん大河ドラマ館前バス停(カゴシマシティビュー)より徒歩10分
  • お問い合わせ / 松原神社 099-222-0343
  • HP / 松原神社

 

松原神社(旧南林寺)の地図

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松原神社(旧南林寺)の総評

一見フツーの神社に見えて、なかなか面白かったでしょ?

 

すんごいフツーの神社だけど、歴史の裏側を知ると、やっぱり面白いね。

 

明治10年(1877年)の西南戦争では、政府軍の第三旅団が本営を構えます。

 

日本の歴史上、多くの戦いで寺社に拠点が置かれましたが、ここ松原神社が最後となりました。

 

そのような点も見過ごせないスポットです。

 

また、周辺には

 

  • 僧月照の墓
  • 南林寺由緒墓
  • 西郷どん大河ドラマ館
  • 天文館

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

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