西郷隆盛終焉の地

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西郷隆盛終焉の地

西郷隆盛終焉の地

 

西郷隆盛終焉の地って、西郷さんが亡くなった場所なの?

 

実際に亡くなったのは、終焉の地とも、少し離れた場所とも言われています。

いずれにしても、城山の麓で亡くなったのは事実です。

 

 

西郷隆盛終焉の地は、鹿児島市城山町にあります。

 

当記事では、西郷隆盛終焉の地の概要や、逸話を紹介します。

 

 

 

 

西郷隆盛終焉の地の概要

出入口

出入口

出入口

西郷隆盛終焉の地は、JR日豊本線沿いにあります。

まずは、左手に見える階段をお昇り下さい。

 

車椅子の方は、介助者が必要だね。

 

 

一見、出入口周辺に駐車スペースがあるように見えます。

 

しかし残念ながら、駐車禁止です。

 

 

石碑

石碑

石碑

階段を昇ってすぐの所に、〈西郷南洲翁終焉之地〉の石碑が、小さな広場にあります。

明治32年(1899年)に建立されました。

 

おお~、立派だ!

 

 

西郷隆盛終焉の地の逸話

被弾

西郷隆盛洞窟

西郷隆盛洞窟

明治10年(1877年)9月24日の午前4時、政府軍の総攻撃が始まりました。

そして午前6時頃、最後の決戦に挑むため、西郷は洞窟前で駕籠に乗り、大保塁のある岩崎口に下って行きました。

 

ついに、死出の旅路に向かって行ったんだね......!

 

 

そして島津応吉の邸宅前で、股と腹に銃弾を受けます。

 

「晋どん、もうここらでよか。」

 

 

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介錯

晋どんとは、別府晋介のことです。

実は西南戦争出立前、西郷は万一の時の介錯を、別府に依頼していました。

 

最期を託される程の腕前を、別府は持っていたんだね。

 

 

桐野利秋村田新八などの幹部に見守られながら、西郷は皇居のある東方に黙礼しました。

 

「御免なったもんせーっ!(お許し下さい!)」

 

別府は、涙を流して介錯

 

西郷の懐中には、共に国事周旋に走った盟友、橋本左内の手紙がありました。

 

 

 

 

西郷の首

南洲墓地

南洲墓地

別府西郷の従僕・吉左衛門に命じ、折田正助邸宅前の溝川に、首を埋めさせました。

 

大将首を敵に渡さないのは、武士の意地だったのかもね。

 

 

しかし大雨が降り、泥が流されたため、西郷の首の一部が露出。

 

官軍の千田登文が発見し、浄光明寺(現在の南洲墓地)にいた参軍・山県有朋の元へ、遺体と共に届けられました。

 

 

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西郷隆盛終焉の地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市城山町13
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
薩摩義士碑前から徒歩5分
カゴシマシティビュー
薩摩義士碑前から徒歩5分

 

 

西郷隆盛終焉の地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷隆盛終焉の地の総評

お墓でも宗教施設でもないけど、手を合わせたい場所だね。

 

アッサリしたスポットなので、肩透かしを食うかもしれません。

しかし、西郷ゆかりの地巡りとしては、外せない場所でしょう。

 

 

 

 

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