有村雄助・次左衛門誕生地は、鹿児島市高麗町にあります。
この記事では
- 有村兄弟と桜田門外の変
- 誕生地の逸話
について、紹介します。
有村雄助・次左衛門と桜田門外の変
安政の大獄
罪人は、100名以上にのぼりました。
これを、『安政の大獄』と呼びます。
義憤に駆られた2人は、脱藩。
水戸藩浪士と、直弼の襲撃計画を立てました。
そして、野太刀顕流(薬丸自顕流)の剣豪だった弟の次左衛門が、襲撃に加わることになりました。
襲撃
この中で唯一の薩摩藩士だった次左衛門は、直弼の首級を上げました。
しかし首を持ち去る途中、井伊家家臣・小河原秀之丞に背後から斬られ、重傷を負いました。
そして、若年寄・遠藤胤統の辻番所前で力尽き、自決。
暗殺に成功するも、享年22才の若さで亡くなりました。
雄助の切腹
安政7年(1860年)3月24日、母・蓮子(蓮寿尼)や精忠組の面前で、雄助は京の方角を拝し、自宅で切腹。
介錯がつかない、異例の割腹でした。
享年26。
有村雄助・次左衛門誕生地の逸話
西郷の落涙
流島のきっかけとなった安政の大獄の張本人・直弼の死を知り、西郷は歓喜。
下戸にも関わらず、夜を徹して宴を開きました。
文久2年(1862年)、西郷は奄美から戻ってきました。
すぐに上之園の自宅に帰宅せず、まずは福昌寺にある主君・島津斉彬の墓参後に有村家を訪れ、位牌を拝んで涙しました。
有村雄助・次左衛門誕生地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市高麗町13 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
鹿児島中央駅から徒歩15分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩10分 |
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カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩10分 |
有村雄助・次左衛門誕生地の地図
有村雄助・次左衛門誕生地の総評
誕生地は現在、一般住宅が建っています。
敷地内には、決して無断で立ち入らないで下さい。
チェック
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