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伊地知正治誕生之地

伊地知正治誕生之地

伊地知正治誕生之地

 

伊地知正治って、だーれ?

 

薩摩藩の軍役奉行で、会津戦争では官軍の参謀として活躍しました。

 

 

伊地知正治誕生之地は、鹿児島市加治屋町にあります。

 

この記事では、伊地知の人生を簡単に紹介します。

 

 

伊地知正治の人生

誕生

造士館・演武館跡

造士館・演武館跡

 

文政11年(1828年)、伊地知は薩摩藩士・季平の次男として生まれました。

しかし幼少時に大病を患い、片目・片足が不自由になります。

にも関わらず、野太刀自顕流2代目・薬丸兼義の門弟に。

また、藩校・造士館の教員にもなるなど、ハンディキャップを努力で乗り越えました。

 

すごい!

 

 

さらに伊地知は、薩摩藩の兵学・合伝流の奥義を修めました。

 

門弟には西郷隆盛の弟・従道がおり、伊地知は将来の活躍を予見しました。

 

 

 

 

軍奉行就任

 

文久2年(1862年)、伊地知は島津久光の卒兵上京に際し、軍奉行に就任しました。

その地位により、薩英戦争前にはイギリス艦隊と交渉。

禁門の変では部隊を率いて戦い、長州に勝利しました。

 

伊地知、恐ろしい子......!

 

 

戊辰戦争

 

明治元年(1868年)の戊辰戦争では、軍役奉行と東山道先鋒総督府参謀に就任。

宇都宮・白川を落とし、さらに板垣退助と協力して、会津藩を降伏させました。

 

あの~、伊地知って本当に障がい者だったの......?

 

 

この功績により、伊地知に賞典禄1,000石が下賜されました。

 

現在の貨幣に換算すると、約6,000万円に値します。

 

 

死去

 

維新後は、宮内省御用掛、左院(立法府)議長、参議を務めました。

また、維新の功績で伯爵を叙爵。

そして明治19年(1886年)、58才で亡くなりました。

 

伊地知って、障がいを全く感じさせないほど、活躍したんだね。

 

 

伊地知正治のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市加治屋町4-23
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩10分
まち巡りバス
維新ふるさと館前から徒歩1分
カゴシマシティビュー
維新ふるさと館前から徒歩3分

 

 

伊地知正治誕生之地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

伊地知正治誕生之地の総評

 

実は本当の誕生地は、ここ加治屋町じゃなくて西千石町なんです......。

今の天文館エリアですね。

 

えーっ!

じゃあなんで、ここに誕生地の石碑が?

 

 

加治屋町に誕生碑が建立された経緯は、不明です。

 

自動販売機に囲まれているので、注意深く探して下さい。

 

 

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