西郷菊次郎の墓は、鹿児島市常盤2丁目の西郷家の墓にあります。
この記事では、菊次郎の人生を簡単に紹介します。
西郷菊次郎の人生
誕生
その翌年に、菊次郎が誕生。
西郷家の祖先は、肥後・菊池一族との伝承から、〈菊〉の字が付けられました。
鹿児島へ
当時の隆盛の妻は、糸でした。
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アメリカ留学
この時、村田新八の長男・岩熊と一緒でした。
岩熊の留学は、鉱山学を学ぶためでした。
西南戦争
すでに帰国していた17才の菊次郎は、西郷軍の一員として戦いました。
しかし、銃弾を受けて右足を切断。
可愛岳突破前、指揮官・桐野利秋の計らいで、他の負傷兵と残されました。
右足を切断したんだ!
従僕の熊吉は菊次郎を背負い、隆盛の弟・西郷従道のもとに投降。
従道は甥の生存に大変喜び、熊吉に礼を述べました。
愛加那との同居
その後、奄美大島で母と1年間暮らしました。
出仕
台湾・宜蘭市長や京都市長を勤め上げ、帰郷後は永野金山鉱業館長に就任。
従業員子弟のため、夜間学校を私費で創立しました。
死去
大正11年(1922年)には西郷家の墓を、松原神社から近所の常盤町に改葬します。
そして昭和3年(1928年)、自宅で69才の生涯を終えました。
西郷菊次郎の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市常盤2丁目2-14 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
鹿児島中央駅から徒歩20分 | |
花岡通バス停から徒歩5分 |
西郷菊次郎の墓の地図
西郷菊次郎の墓の総評
墓碑銘を書いたのは、首相を務めた吉田茂。
これも密かなチェックポイントです。
チェック
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