河野主一郎誕生地は、鹿児島市高麗町にあります。
この記事では、河野と西南戦争の関わりを紹介します。
河野主一郎と西南戦争
密偵捕縛
一報を聞いた河野は、私学校幹部の篠原国幹などと、対応を協議。
暴発を抑えず、あえて泳がせていた政府密偵を逮捕することにしました。
西郷軍編成
これにより西郷は、出兵上京を決意。
河野は部隊編成を行い、みずから五番大隊一番小隊長に就きました。
西郷助命
ついに鹿児島へ戻ってくるも、本営を敷いた城山は、政府軍5万人に包囲されました。
そこで河野は、西郷の命だけも助けようと、参軍・川村純義に面会します。
しかし、交渉は不調に終わり、河野は捕虜となりました。
三州社設立
鹿児島に帰ってきました。
河野は、西郷軍の残党と三州社を設立し、社長に就任します。
三州社は、会員の互助と士族授産を目指した結社でした。
また、教育機関として三州義塾を併設。
西郷の子、寅太郎も学びました。
南洲墓地整備
河野が集めた遺骨の数は、約1800名にも上りました。
こうして終戦6年後の明治16年(1883年)、南洲墓地は現在の形になりました。
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河野主一郎誕生地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島高麗町25-2 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
鹿児島中央駅から徒歩10分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩5分 |
河野主一郎誕生地の地図
河野主一郎誕生地の総評
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