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有村雄助・次左衛門誕生地

投稿日:2018年5月3日 更新日:

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有村雄助・次左衛門誕生地

有村雄助・次左衛門誕生地

有村雄助と次左衛門は、何をした人達なの?

 

2人は兄弟で、幕府の大老・井伊直弼の暗殺に関わりました。

 

有村雄助・次左衛門誕生地は、鹿児島市高麗町にあります。

 

この記事では、桜田門外の変との関わりや、同地の逸話を紹介します。

 

有村雄助・次左衛門と桜田門外の変

安政の大獄

安政5年(1858年)、戊午の密勅の関係者や、日米修好通商条約の反対者を、直弼は処分します。

罪人は、100名以上にのぼりました。

これを、『安政の大獄』と呼びます。

 

事実上の弾圧だねえ......。

 

義憤に駆られた2人は、脱藩

 

水戸藩浪士と、直弼の襲撃計画を立てました。

 

桜田門外の変

安政7年(1860年)3月3日の午前8時頃、江戸城桜田門外で、水戸藩浪士と弟・次左衛門が、登城中の直弼の行列を襲撃。

次左衛門は、直弼の首級を上げました。

 

おお......!

 

しかし首を持ち去る途中、井伊家家臣・小河原秀之丞に背後から斬られ、重傷を負います。

 

そして、若年寄・遠藤胤統の辻番所前で力尽き、自決。

 

享年22の若さでした。

 

雄助の切腹

有村雄助・次左衛門誕生地

有村雄助・次左衛門誕生地

兄・雄助は暗殺成功を見届け、挙兵すべく京に向かうも、道中の伊勢四日市で、薩摩藩の捕吏に捕まります。

 

暗殺関与を、既に知られてしまったんだね。

 

安政7年(1860年)3月24日、母・蓮子(蓮寿尼)や精忠組の面前で、雄助は皇居の方角を拝し、自宅で切腹しました。

 

享年26。

 

兄の有村俊斎、または奈良原繁が介錯したと言われています。

 

 

有村雄助・次左衛門誕生地の逸話

西郷の落涙

西郷隆盛銅像

西郷隆盛銅像

桜田門外の変の頃、西郷隆盛は奄美に流島中でした。

流島のきっかけとなった安政の大獄の張本人・直弼の死を知り、西郷は歓喜。

下戸にも関わらず、夜を徹して宴を開きました。

 

人の死で宴は不謹慎な気がするけど、弾圧が過酷だった裏返しかもね。

 

文久2年(1862年)2月12日、西郷隆盛は奄美から戻ってきます。

 

上之園の自宅に帰宅せず、まずは福昌寺にある主君・島津斉彬の墓参り後、有村家を訪れ、位牌を拝み、落涙しました。

 

 

有村雄助・次左衛門誕生地の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市高麗町13
【料】 無料
【駐】 なし
【交】    鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩15分
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩10分
カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩10分

 

有村雄助・次左衛門誕生地の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

有村雄助・次左衛門誕生地の総評

2人も若くして亡くなったんだねえ。

 

幕末の志士で亡くなった人は、20代~30代が多いですね。

 

誕生地は現在、一般住宅が建っています。

 

敷地内には、決して無断で立ち入らないで下さい。

 

また、周辺には

 

  • 大久保利通誕生地
  • 西郷どん大河ドラマ館
  • 河野主一郎生誕地
  • 歴史ロード「維新ドラマの道」

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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