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鶴丸城跡

投稿日:2018年2月23日 更新日:

読了予測:10分

鶴丸城跡

鶴丸城跡

鶴丸城跡って、島津のお殿様が住んでいたの?

 

はい。

江戸時代初期より、居城として使われていました。

 

鶴丸城跡は、鹿児島市城山町にあります。

 

この記事では、城の概要のほか、歴史・逸話を紹介します。

 

 

鶴丸城跡の概要

城壁

鶴丸城跡の城壁(東側)

本丸の城壁(東側)

まずは、本丸の城壁を紹介します。

慶長7年(1602年)、21代島津家久が築城した当時の姿が、今も残っています。

 

400年以上前から変わらないんだね~。

 

そして写真をご覧の通り、鶴丸城には天守閣がありません。

 

『城をもって守りと成さず、人をもって城と成す』という思想によるもので、城内には屋形が並んでいました。

 

鶴丸城跡の城壁(北東側)

城壁(北東側)

こちらが、城壁の北東側です。

何か気付きませんか?

 

あ!

角が欠けてる!

 

北東は鬼門とも呼ばれ、当時は不吉な方角と認識されていました。

 

そのため魔除けとして、角を欠いた形で石が組まれました。

 

石橋

鶴丸城跡の石橋

石橋

それでは、鶴丸城跡の本丸に入ってみましょう。

この石橋を渡って行きます。

 

この石橋も、古いねえ。

 

鶴丸城築城時には、もともと木橋が架けられていました。

 

文化7年(1810年)、石橋に架け替えられ、現在に至っています。

 

天璋院篤姫像

鶴丸城跡の天璋院篤姫像

天璋院篤姫像

本丸に入ってすぐの所に、天璋院篤姫像があります。

製作者は、鹿児島在住の彫刻家・中村晋也氏です。

 

なんで、篤姫の銅像が鶴丸城にあるの?

 

平成20年(2008年)、NHK大河ドラマ・篤姫が放送され、ドルフィンポートにオープンした篤姫館に、約66万人が訪れました。

 

平成22年(2010年)、その収益を基に、篤姫が約2ヶ月間過ごした鶴丸城に建立されたのです。

 

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黎明館

鶴丸城跡の黎明館

黎明館

そして、本丸の大部分を占めているのが、鹿児島県歴史史料センター黎明館です。

 

ここには、何が展示されてあるの?

 

黎明館では、企画展の作品のほか、常設展示で鹿児島の歴史史料が陳列されています。

 

戦国島津や明治維新が好きな方に、特にオススメです。

 

関連HP

 

二ノ丸跡

鶴丸城跡の県立図書館

県立図書館

本丸から、一段下がった場所にあるのが、鶴丸城跡の二ノ丸です。

現在、鹿児島県立図書館が大部分を占めています。

 

ここには、かつて何があったの?

 

二ノ丸には、藩主の跡継ぎや、隠居した前藩主の住まいなどがありました。

 

しかし、明治10年(1877年)9月24日、西南戦争で焼失しました。

 

鶴丸城の歴史・逸話

築城

上記で述べたとおり、鶴丸城は慶長7年(1602年)、島津家久によって築城されました。

父・島津義弘は、海岸線に近くて危険と反対し、多賀山への築城を薦めていました。

しかし家久は、造営を強行しました。

 

島津義弘と言えば、百戦錬磨の戦国武将だよね。

なんで家久は、鶴丸城をここに造ったの?

 

仙巌園に舟で向かう

仙巌園の錫門

仙巌園の錫門

万治元年(1658年)、19代島津光久によって、鹿児島の磯に仙巌園が造営されます。

藩主や世子は、鶴丸城の堀から舟に乗り、錦江湾に出て、仙巌園に向かいました。

 

優雅~!

 

仙巌園には、錫門と呼ばれる朱色の門が建っています。

 

この錫門前に、かつて舟着場がありました。

 

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集成館事業の実験場

仙巌園の反射炉

仙巌園の反射炉

嘉永4年(1851年)5月8日、28代島津斉彬が、藩主として初めて鶴丸城に入ります。

そして、あることに着手しました。

 

あること?

 

斉彬は、製煉所を城内に設置し、

 

  • 反射炉
  • ガラス
  • 陶磁器の釉薬
  • 電信
  • 写真
  • パン
  • アルコール

 

などの製造実験を、寺島宗則や中原猶介らに命じます。

 

いわゆる集成館事業の基礎研究が行われ、海防強化のための大砲造りや、人と国を豊かにする殖産興業の礎となりました。

 

 

他藩士の来城

薩摩藩は元来、他藩の人間の出入りを厳しく制限していました。

しかし幕末になると、他藩士が相次いで来薩。

鶴丸城に入城した者も、幾人かいます。

 

たとえば、どんな人が?

 

元治元年(1864年)~慶応3年(1867年)の間に

 

  1. ジョン万次郎
  2. 後藤象二郎
  3. 桂小五郎
  4. 中岡慎太郎

 

が、29代島津忠義、または島津久光に謁見しました。

 

特に中岡慎太郎は脱藩浪士であり、久光に謁見できたのも、幕末という時代ゆえでした。

 

鎮西鎮台第2分営設置&本丸焼失

明治4年(1871年)、廃藩置県が行われると、島津忠義は本丸を去り、鎮西鎮台(のちの熊本鎮台)第2分営が置かれます。

 

軍隊の拠点になったんだね。

 

明治5年(1872年)2月には、分営長に旧薩摩藩士の樺山資紀が就任します。

 

しかし、明治6年(1873年)12月7日、第2分営が全焼し、本丸にあった江戸時代の屋敷を、すべて失いました。

 

二ノ丸焼失

南洲墓地の山野田一輔の墓

山野田一輔の墓

 実は、明治10年(1877年)に西南戦争が起きるまで、二ノ丸には島津久光が住んでいました。

やがて戦争が激しくなると、久光は桜島に避難しました。

 

へーっ!

 

しかし、同年9月24日早朝、二ノ丸に籠もっていた山野田一輔らに、政府軍は総攻撃を仕掛けます。

 

前述の通り、二ノ丸屋敷は焼失。

 

約270年間続いた、島津家居城としての役割を終えました。

 

鶴丸城跡の基本情報

【時】 本丸 午前9時~午後6時
二ノ丸 午前9時~午後9時
【休】 本丸・二ノ丸 年中無休
【休】 黎明館県立図書館の各HPを参照
【所】 鹿児島市城山町7-2
【料】 無料
【駐】 無料(黎明館・県立図書館利用者に限る)
【交】 鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス 薩摩義士碑前から下車すぐ
カゴシマシティビュー 薩摩義士碑前から下車すぐ

 

鶴丸城跡の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

鶴丸城跡の総評

一番の見どころは、篤姫の銅像と、黎明館の常設展示です。

また、御楼門を現在再建中です。

 

楽しみだねーっ!

 

完成は、2020年頃。

 

江戸時代当時の姿が、蘇ります。

 

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

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